ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

冷静になるには(後編)|割れたバター壺

冷静になるには(中編)|世の常 から続きます)

たとえば、ある子供が犯罪を起したという例を考えてください。

その子のお母さんにしたら考えられないでしょう。「あのうちの子が?!」と。でも、罪を犯すのが人間だからね。世の常なんです。

もしそこまで考えられればすごいことなんです。

 

どこまで必要かと、この冷静さが。興奮しないことが。

どこまで必要かというために、仏教ではちょっとしたエピソードがあるんです。

 

コーサラ国王の話だと思いますけど、コーサラ王の軍隊があるんですね。軍隊のトップの人がいて、普通は王様の息子がそれになりますが、もしかするとそれに適した息子がいなかったからなのか、息子じゃない人が軍隊長になったんです。その人は見る限り体格のいい、美しい、いい男なんですね。それで結婚した相手も有名な美人で。

 

この二人にむちゃくちゃ子供が生まれるんです。双子とか三つ子とか。ホントかどうかわからないんだけど、32人もいましたと。全部男の子ばっかりなんですね。父親の遺伝も母親の遺伝もいいし、とんでもなく美しく、すくすくと成長するんです。

 

当然、お父さんの仕事をしなくちゃいけないんだから、カースト制度ですから、いろいろと引き受けて。軍人と言うのはクシャトリアと言う上位のカーストですからね。

男の子っていうのは見る見る間に育つでしょう。15、6歳になってくると、もうお父さんと一緒に肩を並べますね。

 

それでその息子たちとお父さんが、いつでも一緒に、まぁすごい。32人の軍人グループと、司令官があまりにも親しく仕事していたから、ある一部の人々は嫉妬しちゃったんですね。嫉妬して、お父さんにいろいろと悪口を言うんですね。

「あのグループはものすごく人気者だ。軍人はあの人たちの言うことをものすごく聞くんだ。あんな立派な男をみると命令に従うしかないんだよ。だから、あっという間に王様を殺して、王になれますよ。王様は気をつけた方がいい」

ということを、王様に伝えるんです。それで王様はちょっと調べるんです。

 

調べると、あまりにも仲良しで、見る限り一緒に行動しているんですね。どちらが息子かどちらが父親かわからないくらい。

王様は、やっぱりもしかするともしかする、となって、処刑を命じるんですね。彼らに。

 

すると、奥さんがものすごい仏教徒で、覚りにも達していましたし、名前は王妃と同じマッリカーなんですけど、彼女はサーリップタ尊者とモクレン尊者やお坊さんたちにお布施をしているんですね。たくさんのお坊さんたちを知っていた。

 

そこで召使たちに、バター油の入った壺を、お坊さんたちに差し上げるために持ってきなさい、と持ってこさせたところで、滑って落ちちゃったんですね。

インドでは、牛乳から取れる油っていうのは、一番贅沢で高価なものだと思っているんです。大量に牛乳が必要でしょうしね、油を取る場合は。

 

バターは高価な食べ物で、現代で考えれば油ばっかりで何が贅沢かと思いますが、当時はあまり肉や魚も食べないでしょうし、バターから栄養を取ったりしていたでしょう。

 

それを、二百人くらいのお坊さんたちに用意しました。この壺が割れて落ちてしまうと、大変な損なんですね。

これを見たサーリプッタ尊者は、

「マッリカー、気にすることじゃない」

と言ったんです。さらりと言ったんですね。

 

実は食事を差し上げる直前に、王様の家来たちが家に来たんです。

家来たちは手紙を持って来て、奥さんに渡しました。彼女は、手紙を開けてみて、読んでから、横へ置いたんです。

 

それからなんのことなく、お坊さんたちにお食事をお布施して、そのときにツボが割れたんです。そこでサーリプッタ尊者が「マッリカー、気にすることはない」と言ったら、マッリカー夫人が、

「尊師、この手紙は王からで、わたしの夫と息子をみんな殺した、というものですよ。でもわたしは、なんのことなくこのお布施をとりおこなっています。わからなかったでしょう?」

 

「夫が殺された、子供たちが殺されたと知らされても、なんのことなく、今の仕事をしますよ。だから、こんなバター壺が割れたことくらい、わたしが気にするはずがないでしょう」と。

 

このエピソードは、究極的な例で、これを覚えておきなさい、ということです。

人間には、これほどの不幸は起きませんし、たとえ自然の災害で、地震で、亡くなったとしても、腹が立つことはないでしょう。自分の家族が誰かに殺されたのなら、腹が立っていてもたってもいられなくなりますしね。ですから、今(2011年当時)みたいにすごい災害が起きても、あのマッリカー夫人のエピソードほど、精神的にきつくないんです。

 

実際ところ、あの父親と息子たちがクーデターをやろうと思ったのかと言うと、それはまるっきりないんです。みんな仏教徒で、一生懸命、王に尽くしていたんですね。なのに、誰かのうわさで、やられちゃったんだから。それでも冷静でいるっていう。

 

いかに冷静でいることが重要かと、一般人に覚えさせるために、そういうストーリーが作られたのかどうか本当のところはよくわからないんだけど、一応、例として仏典には入っているストーリーなんですね。

 

いつでもお釈迦様が、究極な例を置いておくんです。それをわれわれは覚えておく。そうしたらいつでも、あのくらい冷静にいなくちゃいけない、と思う。もし、そこまで冷静になれなくても、相当冷静にいられます。あのマッリカー夫人ほどはできなくても、かなり冷静さを保てます。

 

たとえば、怒るなかれという有名なたとえがあるでしょう。

とんでもない連中が来て、自分を真っ二つに割ったとしても、怒るなよと。怒ったなら、わたしの教えを聞いていないということだ、と。そこまで言われたら、怒れなくなりますよ、情けなくて。

 

そういうふうなことで、お釈迦様は、人間が弱いものだと知っていて、戒めて、戒めている。そこでわたしたちは、自分を、強くして、強くしていかなくてはいけないんです。

 

だからあなたも、ちょびっとびっくりするんだけど、そこは戒めて、強くなってください。

強くなれます、人間というのは。

(おわり)

 

関西定例冥想会 2011.03.21

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/1353623.html

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