(未来の組み立て方(5)神なら将来を知るか? から続きます)
仏教では、神々の次元があると思っているんです。
生命ですから、いろんな生命がいますよ。宇宙にもいますよ。地球だけに生命がいるとは、仏教では思っていません。
仏教では無限に宇宙が大きくて、こんな環境と言うのはいくらでもあります。
そのなかで、われわれ人間みたいな生命もいっぱいいるだけじゃなくて、われわれより次元が高い生命もめちゃくちゃいますよ。
その次元が高い生命を、神と言うんです。パーリ語でDevatā(デヴァター)です。英語で言うと、divinityです。
その生命にも将来のことはわかりません。はっきりしています、経典では。その能力はないんです。
ですから、わたしたちは余計なことをしないでリラックスしたほうがいいんです。
心配しなくてもいい。
超次元の神々でさえも、将来は読めない。
あの仏教の生命次元を語るところで、梵天の一番レベルが低い梵天でも、寿命は一劫です。一劫というのは、宇宙があらわれて消える時間なんです。
だから一番レベルの低いところにいる梵天は、一つの宇宙があらわれて消えるまで生きているんです。長い、長い、世の中の変化は知っていますけど、明日どうなるかはわからないんです。
そこでちょこっと次元が上がると、慈悲の冥想でもして、慈悲の冥想は四種類ですからその四番目の冥想をしたら、梵天の中で一番高い次元に行きます。寿命は、四百か八百劫年です。そのくらい寿命があっても、明日のことはわからないんです。
(最終回・未来の組み立て方(7)将来の安全対策とはに続きます)
(スマナサーラ長老・関西定例冥想会 2011.07.11
http://www.voiceblog.jp/najiorepo/1433804.html)
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