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Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

スマナサーラ長老『いつでも失敗から学ぶ ~成功ばかり期待しても、それは幻~』2015.09.12

9/12(土)スマナサーラ長老『いつでも失敗から学ぶ ~成功ばかり期待しても、それは幻~』

期間限定公開動画① http://www.ustream.tv/recorded/73063972 

http://www.ustream.tv/recorded/73069661 

 という前評判の今回の講演、どんな内容なんでしょう…:;(∩´﹏`∩);:

 

この講演会の覚え書きメモを縦線部分に書きました。

 

 失敗は、Your personal adviser.

失敗は、Your personal adviser.

失敗は人の個人指導者(顧問)です。

 

何かするときは、必ず結果を期待する。

行為には必ず結果がある。

期待通りなら成功、そうでなければ失敗だと私たちは言う。

 

バッタとカエル。バッタが逃げ切ればバッタにとって成功。カエルにとって失敗。どちらか成功するとどちらかが失敗する。

人間の社会にもあること。一人がもう一人は失敗する。

 

ここでたとえとして、スマナサーラ長老が日本に来ることになった裏話が!

大学で仕事していた時、わがままな同僚がいた。ほとんど仕事をしない。

その同僚が、留学したいと国へ願書を出した。わたしも出さなければいけなかった。同じ分野だった。

日本への出願。その同僚が出して、わたしは出さなかった。その同僚は落選した。

次の年、同僚は年齢制限でもう出願できなかった。そこでわたしが出願して、合格して日本へ来た。

 

人のために、たまに失敗してもいいこともあります。

必ずなんでもかんでも成功しなくてはいけないと思わなくていい。

子供とゲームをやっていると、負けた方が楽しいでしょう、勝つよりは。

 

個人指導者の先生が優秀なだけでは、生徒が学問に成功するという保証はありません。

生徒も素直に学ぶ必要がある。

個人指導者とは心の中にいて、自分を戒める存在です。

 

「すべては不安定」

心も体も、物質も全世界も不安定です。

諸行無常 sabbe sankhara anicca

今の状態は不安定なので、安定を求めて変わる。したがって、すべての現象は限りなく変化する。

地球の公転自転も、安定を求める変化。

 

「不安定なこころ」

こころの不安定(無常)は激しい。常に揺れ動く。

こころも安定を目指して変化します。これは物質の安定を目指す変化とは違います。

こころは「不死」を目指して変化します。不死を期待します。が、こころは因縁により起こるので、安定・不死は成り立たない。

こころは無駄なことを期待している。つまり、こころはずっと失敗している。無駄なことを期待しているのです。

 

こころは認識するが、正しい認識ではない。ありのままの認識ではない。

いつだってわれわれの認識は、暗闇でロープを踏んだようなもの。

 

「失敗に怯える」

こころの失敗は死を意味する。失敗に対して冷静にいられない。

動物の場合は、一回の判断ミスで命を失うことはよくあることです。人間は死なないが失敗を極端に恐れる。

すべての失敗は存在欲から発生します。

 

「失敗は当然」

自我、自分と言う気持ちがある限り、生命の判断は正しくない

どのようにに判断して行動しても、生命は世界に迷惑をかけつつ生きていて、必ず死にます。

 

死を認めたくない。死は大失敗、という気持ちから生まれる。

ある医者の言葉「わたしたちは死を敵だと思っている。患者を死なせないように必死。しかしこれは科学的におかしい。人は死ぬもの。なのにわたしたちは認めない。なんとしても生かそうとする。今日死ぬ人を明日まで生かそうとする。なんなのかこれは」

ホスピス。死ぬのは当たり前。インチキ、嘘はない。今の医療は発展しているとか、嘘はない。

 

失敗に対するブッダの立場

「出家の失敗」

複数の戒律を守らなくてはいけない出家は結構失敗します。

実践についても、真理を理解するときも失敗します。

実践と真理の誤解は先輩との対話によって直します。

戒律についての失敗は、ほかの出家の前で報告して、素直に認めます。

報告を受ける出家はそれを認めて、これから気をつけてくださいと言わなくてはならないのです。

 

「愚か者は失敗を認めない」

愚か者は二種類です。1.失敗を失敗として認めない。2.失敗を報告しても認めない

智者は失敗を正しく認識する。他人の失敗もありのままに認めます。その人は仏道で成功します。

 

「失敗したら」

お釈迦様のエピソードから…「尊師、わたしたちは本当に、愚か者で失敗しました。見事に完全に説かれている教えの中で、出家して、「誰に見事に説法できるのか。誰に長く説法できるのかと競争しました。尊師、わたしたちのこの間違いをわたしたちの躾のために過ちとして認めてください。」

 

仏教の場合は、解脱に達したければ、「わたしは失敗するんだ」と認めなくてはいけない。

 

「成長の順番」

人は失敗する。間違いを犯す。

それを勇気をもって認める。

適切な処理をする。

二度と同じ失敗をしないように学ぶ。

 不完全な人が完全性を目指して成長する。

 

「失敗する理由」

自我の錯覚がある人は、物事を主観的に自分の都合で情報をねつ造して認識します。

すべての判断に客観性はありません

わたしに正しいものは他人に正しくない

失敗を隠そうとする

 

「失敗に悩む人」

失敗に悩む人は成長しません

自我が強すぎです。わたしに限って失敗するはずはないと思っている

失敗に悩む人は退化する

 

「人間はさまざま」

失敗が多い人・少ない人・失敗しかしない人・失敗を恐れて何もしない人

これは各人の煩悩の働きによって起こる

  

「誰だって自分は正しいと思っている」

真理を知らない人は皆、自分は正しいと思っている

生命のすべての行為は「正しい」と言う前提で起こる

失敗しても輪廻転生しても、成功はない

 

仏弟子は間違いに気づく」

ブッダに説かれた真理を学ぶと、人は間違いだらけの生き方をしているのだと発見する

最初に受ける五戒も、自分は間違った生き方をしていたことを認める行為です

三宝に帰依する人は、迷信・信仰・神頼みの生き方は欲にまみれた感情的な生き方であったと発見しています

 

「気づきの順番」

初めはすべての失敗に気づきません

自分の理解能力にあったことのみ、失敗として認める(例:人を殺すのは悪いが、魚を殺すのは仕方がない)

自分の理解範囲で「殺してはならない」と理解している(殺されるようになったら、相手も殺しても自己防衛なので仕方がない、など)

知恵がある人は、殺されても生命を殺すのは間違いだと知るのです

一日で善人にはなりません

自分が失敗する失敗を認める。なぜ失敗するのか、調べたり他人に教えてもらったりする

素直にその通りに生きてみる

しかし、別な失敗をする。それにも同じ順番で対応する。

ときどき、わかってはいるが、やめられないという状態もある。そのとき、自分は感情に依存していること、理解は不十分であることを発見できます。

直すべき失敗はないと発見するまで進む。

 

Vipassanā ヴィパッサナー 実践

初めから終わりまで失敗の連続です

サマタ冥想と違って、ヴィパッサナー実践する人には、なかなか、成長しているという気持ちは起こりません。

いつでも、「うまくいかなかった」という気持ちになります。

失敗の連続から、なにかしら自分が学んで成長している

しかし、実践者は失敗を直さなくてはならない

直ったら、別の失敗が起こる。

このように正しく実践しようと励む過程に徐々に智慧があらわれる

こころが成長する

微細な失敗も直そうとすることで、冥想は成功して解脱に達します

 

「自己観察」

他人の過ちなら、直ちに発見します。自分の過ちは過ちとして認めません

他人が自分の失敗を示すことさえも嫌がる

仏教は他人のことを置いておいて、自己観察を推薦する

間違いだらけの、汚れた、嫌な自分に出会います

勇気が必要(サマタ冥想は自己観察じゃない)

しかし、失敗は師匠であると知っている。すぐカッとなる自分が見える。それで自分が直せます。

実践をやめるのではなく、失敗を直すことに励む

毎日失敗しているのに、人格的に向上して、失敗が少ない人間として成長する

最初に発見した間違いと、今発見している間違いが違う 発見する方法

最初は座った途端寝ている。今は冥想してから寝ている。など 

無明を破る・貪瞋痴をなくす・煩悩の滅尽・等の用語は結局、「失敗から学ぶ」という意味

 

俗世間の場合

「失敗してはならない」

言わなくても人は失敗したくない

それで結構です。

しかし、失敗したら、「これは失敗です」と自分で素直に認める勇気はありますか?

無いならば、信頼できない、だらしのない人間です。

勇気があるならば、立派な、見込みのある人間です

 

国会の議論を聞いていると、政治家は失敗しても認めませんね。謝りませんね。

 

「気をつけても失敗する」

失敗しないとはあり得ない現象です

自分の失敗を他人に言われるまで、気付かない人間は愚かです

人に言われる前に、自分の失敗に気づきましょう

失敗は恥ずかしくない。自然のものです

失敗は、自分の未熟なところを示してくれるadviser、顧問です。

直すのは自分の責任

 

「失敗しないと学べない」

これは法則ですが、意図的に失敗するのは罪です

無責任に行動してはならない

決して失敗だけはしませんと言う態度は欠かせません(車の運転)

失敗とは「正しい」と思ってやったのに、結果は逆でしたと言える状態です(子供の宿題など)

 

「試行錯誤にも気をつけろ」

生命に危険を及ぼす試行はやめるべき

大胆な借金をして商売に手を出さないほうが正しい

慈しみの気持ちがあるなら、試行錯誤は構わない

 

「失敗を認める人間になる」

社会の問題は、人は失敗しても認めないこと

ですから違法行為はなくならない。法律制度に大変な金も時間もかかる

不正をなくすために大事な資源が消えます

失敗を認める社会があらわれたら、それが平和で、豊かな社会の現れです。精神的な問題がない社会です。

 

「俗と聖」

失敗しなくなった人は聖者

 終

 

今回とくに、こころに残ったのは次のポイントでした。

 

こちらも要チェックです。

 

この功徳を生きとし生けるものに回向いたします

Sabbe sattā bhavantu sukhitattā.

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スコータイ遺跡」タイ観光局ホームページより

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