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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

本当に「幸せには定義がない」のですか?(5)アーナンダ尊者が「釈尊、寿命を延ばしてください」と言わなかったのはなぜか

本当に「幸せには定義がない」のですか?(4)長老が何もやりたくない日にすること から続きます)

お釈迦様にしてみれば、もう覚ったんだから、なにもやることないでしょう。だって「なし終えた」と仰るんだから。「なすべきことはなし終えた。もうやることはないんだよ」、これって見方によってはかわいそうですね。やることが何もないんだと、この上は。

 

お釈迦様はわたしたちよりも、ものすごく頑張ったんです。

一時間半程度寝て、木の下で生活して、ものすごく不味いものを貧しい人々からいただいて、そのまま召し上がって、草履もはかないで、毎日歩くんです。歩いては誰かに説法する、また誰かに説法でする。人の役に立っているという「カルナー(悲)」ね。慈悲喜捨の二番目ですね。人を助けてあげるということ。

 

それで一秒でも充実感で生きている。だからブッダの一秒はこの上なく価値のある一秒なんですね。

だから最後に、寿命を延ばしてみようかなと思ったんですね。お釈迦様はすごくジレンマがありました。「こんな壊れかけた肉体をもって生きるのはどういうことかい。早く涅槃に入ったほうが……」と思いながら、「でも一日でも生きていたら大勢の人々の役に立ちますよ」と。

 

このジレンマは長く延々と経典に書いてありますからね。

だからアーナンダ尊者に「寿命を延ばしてみようかな?」という意味のことを、すぐには分からないように尋ねました。どうして分からないように話すんですか? 今まで明確にしゃべっていたお釈迦様が。

 

おそらくアーナンダ尊者は「お釈迦様、永く永く生きてください」と言うのは決まっているし。これは面倒くさいし。(笑)

だから、まず言うのは、「四神足を完成している人にとっては、寿命を延ばすことができます。そういえば如来も、四神足をぴったり完成しています」、ハイ、終わり。

 

「それで?」と、そのときは分からないんですね。残りのセクションは言わないんです。それを三回言う。

 

「あ、アーナンダは気づかないんだ。じゃあ、もう涅槃に入ることに決めますよ」とお釈迦様は決めるんですね。それでのちにアーナンダ尊者が非難を受ける羽目になりましたけど。

 

あとからアーナンダ尊者が、「お釈迦様、どうか長生きしてください」と頼むと、お釈迦様は「あなたね、あれほど明確に言ったのに、理解しなかったでしょう」と。明確でしょうかね? と思いますけど。

 

まぁ、「そういえば如来も、四神足を完成していますよ」と言えば、論理的に考えて、「じゃあ、お釈迦様もお願いします(寿命を延ばしてください)」というのがふつうですけど、いつでもそんな気持ちにならんでしょ、人間ていうのは。

 

そういうことで、ちょっと話がそれましたけど、お釈迦様も、一秒一秒、無数の人々の幸せのために生きていましたから、充実した生き方なんです。

 

お釈迦様が涅槃に入られても、お釈迦様の存在がわれわれの役に立っているんですね。

それは究極の幸せになった方の生き方ですね。ですから、わたしたちにとっては模範ですからね。一日一秒でも、何とか人の役に立つような生き方をしましょう。もし他人の役に立たないんだったら、自分の役に立つ生き方でもしましょうと。

最終回・本当に「幸せには定義がない」のですか?(6) - 瞑想してみるに続きます)

 

関西定例冥想会 2011.09.17

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/1574082.htmlよりメモしました。

f:id:thierrybuddhist:20150924205311j:plain

Buddha statue depicting Parinirvana. (Mahaparinirvana Temple, Kushinagar, Uttar Pradesh, India) Wikipedia

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