ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

最終回(8)指一本動かすことも自己責任

仏教は戒定慧の三学です(7)指一本動かすことも自己責任 から続きます)

そういうことで、世の中で言っている、スローガン・謳い文句には真理がありません。

現代社会ではね、自由意思とかね、言論の自由とか、あほなことを。何が言論の自由ですか。自分の感情でしゃべっているだけでしょう。マスコミとか、事実そのものを伝えることはまるっきりしないでしょう。

 

ジャーナリストが言論の自由というのは自分の感情のままにしゃべりたいだけ。

戦場カメラマンとかあほな連中が出てきて、売れる写真を撮りたいだけ。

人々のことを悲しんでいるとか平和のために何とかしなくちゃとかじゃないんです。

 

ベトナム戦争が終わったのは一人の写真家の写真でしょう。小さな女の子が、爆弾で体中に火がついて逃げていく写真がアメリカで発表されて、「われわれは何をやっているのか?」とそこでやっと、ベトナム人を殺すことをアメリカ人が嫌になっちゃって。でも写真を撮った人はその目的でやったんですかね? 

 

言論の自由というのはとんでもない嘘なんです。

アメリカが自由な国というのも本当ですか? アメリカほど自由がない国がありますか? 電話も掛けられませんよ。インターネットもつなげられません。全部調べられています。

 

だから結局は、それぞれの感情で条件付けられて、条件の下で生かしてくれと頼んでいるだけです。怒った人は人を殴りたいんですね。それがその人は自由だと思っているんです。

 

金がなくておなかが空いている人は、空き巣に入りたいのにセキュリティが付いていると腹が立つんですよ。簡単には入れないから。だから金がなくて仕事がない、仕事したくない人が思う自由は、金をとることなんです。だから警察を嫌がるんです。自由ってそんなもんです。

 

政治が語る自由も、民主主義もそんなもんです。

自分の党が当選するのが民主主義と思っている。だから国民のために何か提案しても反対するんだからね。

 

自民党も「いかにこの政府を倒せるのかと考えなくちゃいけない、しかし復興はすべきだと思っていますよ、そのためにこの政府を倒すべきだと決めています」というのはどういう理屈ですか?(2011年当時)

誰が政権握っても関係ない、誰が政権を握っても、国民を助けてあげるのが政治家の仕事でしょう。管理職だから。

 

しかし政治権力の仕事から始めます。

権力を持っている者たちがどうなんですか?

 

人間が考えている自由っているのは、怒っている人々が相手を殴りたいという気持ちがあって、それをやらせるなら自由だと思っちゃうんです。

 

若い男が若い女を見て、今の世の中は自由だから、誰が誰と一緒にいてもいいんじゃないかと文句言うなよとしゃべるんです。それって自由じゃないでしょう。

女の人もイケメンを見たら自由だからとしゃべる。それって自分の欲に合わせて欲を満たすことをしているだけで、なんの自由も働いていません。

 

ですから自由というのは世の中で成り立たない。

感情のままに生きています。

それは理解したほうがよろしい。

 

だからわれわれ条件を変えます。欲・怒り・嫉妬・憎しみを制御しようとする。

理性を入れてみる。理性で判断する。理性で判断すると、いくらか自由の味がわかります。

自由っていうのは解脱に使う用語なんです。仏教用語で自由っていう単語は、解脱にしか使っていません。フリーダム(Freedom)というね。

 

他に使う場合は、条件で、たとえば逮捕された人に王様が釈放すれば自由になります、刑務所から。それだけ。条件付きです。

そういう条件付きで一部分の微妙な自由はありますけど、本当の自由というのは解脱です。

(終わり)

 

スマナサーラ長老・関西定例冥想会 2011.10.02「指一本動かすことも自己責任」

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/1577072.html よりメモしました。

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