ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

問題が起こった時に落ち着くには?

質問

「問題が起こった時に、自分のこころが暴れて落ち着かなくなります。そういうときに落ち着かせる方法はどうしたらいいでしょうか?」

 

回答(スマナサーラ長老)

これは難しい質問ですよ。

何か難しい問題があると、どうしてこころが落ち着かなくなるかというと、いろいろ問題があってね。

 

まず、そういう問題が起こらないだろうと、自分たちが思っていたんですね。そんなはずはない、とかね。そうならないと思っていた。

結構あるんですよ。当分死なないだろう、とかね。だから、お医者さんが「あなた、危ないですよ」と言ったとたん、ショックで倒れちゃうんですね。この場合は、予測しなかったことが、大きな問題なんですね。

予測しなかったから、興奮して、こころが驚いてしまって、困ってしまうことが結構あります。それを覚えておいてください。

 

何か問題が起こって興奮したら、「なるほど、わたしはこんな問題が起こると予測しなかったんだから、こうなっちゃったんだ」と、「もう仕方がない。問題があるから解決しよう」とこころを変えればいいんです。

 

それと、気休めに言いますけど、人間が遭遇する問題は、すべて、いたって簡単に解決できます。興奮するから、予測しなかったから、正しい対応ができないだけです。

人間に対応できない問題は起きません。「こうなったら、こうする」と、いつでも対応方法はあるんです。「こうなるハズではなかった」ということが出てくると、答えがないんですね。

 

それで、明日のことを何も予測しないで生きるということは、これは、冥想して人格を育てた人の能力なんですよ。明日のことを何も予測しない。ものすごく元気に生きる。解決できない問題は一つも存在しない、ということは、これはもう、修行して智慧を開発しなくちゃいけないことだからね。それは一つ、憶えておいてください。

 

もう一つは、「問題がある。どうすればいいかと考えたところで、わたしにはどうすることもできません」ということがあるんです。しかし、問題はある。そのときに悩んだり困ったりするのは無意味です。

 

そのときわれわれが遭遇するトラブルの中で、二つ憶えたほうがいいんです。

 

  1. 自分にはどうすることもできない。ようするに管轄外。
  2. 自分にとって管轄内のことをする。

 

たとえば、人が病気になる。それで、あなたはどうするのかというと、「わたしにできることは、病気の人を病院に連れていくだけ」これは、自分のパート(管轄)なんですね。そこで、お医者さんにどんな病気かと聞いて、看病するのは自分のパート。しかし、治療することは自分の仕事ではないんですね。

病気の場合は、自分のパートがあって、お医者さんのパートがあって、看護師さんのパートがあって、いろいろ合わせたところで、問題解決でしょう。

 

または、病気になった本人のパートもあるでしょう。病気を治す力が本人にあるのかと。病気っていうのは薬では治らないんです。薬はただ、補ってあげるだけなんです。生命力が病気になったら、そこを直すんです。ですから、本人にも精神的な力がない、生命力がない場合は、病気が治らないんですよ。

 

しかし、わたしはわたしのパートをやる、先生は先生のパートをやる、看護師さんはそのパートをやる、とかね。しかし、そこで本人の生命力がなかったら仕方がない。

たとえば、88歳のおじいさま・おばあさまだとしましょう。もう生命力は弱いでしょう。だから、われわれのパートをやったんですけど、その方々は亡くなるかもしれません。別に問題じゃないんです。だって、仕方がないでしょう。それは問題ではないんです。

 

そういうことで、われわれにはどうすることもできない、管轄外の問題があります。

例えば津波があります。誰だって困るでしょう。でもどうすることもできない。管轄外。自分のパートは? 逃げること。家が流された。でも、どうすることもできないんだから、気楽で、明るくいなくちゃあかんです。「あ~、家が流された……(ガックリ)」これはダメです。愚か者のやり方です。

 

自分に解決できるセクションを見出して、それに対応する。それはできます。自信を持ってください! 自分の義務として出てくるところは、自分にできるんです。それだけです。

 

たとえば、赤ちゃんが肺炎になったりする。親にできることをやる。でも、赤ちゃんの体がちっちゃいんだから、体力がなくて、死んじゃうかも。自分のパートをやっていない場合は、これはすごく大変なんです。

親が一生懸命やるべきことをやって、先生もやるべきことをやって、それでも、その小さな生命に力がなくて、死んじゃった、とする。そうすると、「仕方がない」と落ち着きます。自分の子供が死んだっても、落ち着いていることはできます。しかし、自分のパートをやらなかったら大変なんですよ。義務を果たさなかったら。そこはすごく悪行為で、自分を悩ませますよ。

 

そこで人間が、調子に乗って、管轄外のことにも手を出すんです。それも罪なんです。例えば子供が病気になったら、「神様助けてください」と言って、いろいろなところに行っておねだりしたりお祈りしたりする。やるのは構いませんだけど、管轄外なんです。

 

「あれほど祈ったのに、あれほど題目を唱えたのに、なんで子供が死んじゃったんでしょうか」と、怒り憎しみを持ってしまう場合は、「子供は必ず生かしてやるぞ」という自分の管轄外のことを思っただけなんです。あれはちょっと調子に乗り過ぎちゃって、これは悪行為なんです。そうすると、管轄外のことまで手を出してしまって、怒り憎しみを持って、本人が自己破壊する。

 

理性のある人は、毎日毎日、様々な問題に出会いますけど、その問題を二つに分けて、「わたしのパートは何なのか?」と判断して、それをやる。他は管轄外にする。

自分の管轄のことなんだけど、自分は仕事にもいかなくちゃいけない。そうすると電話して、「お母さん、子供の面倒を見てくれない?」と人に頼むことも自分のパートなんですね。そういうふうに、自分のパートを見分けて対応すればいいんです。

 

憶えておいてください。自分が行わなくちゃいけない義務というのは、それは、できるんです。できないことは、生命法則の中であらわれません。

 

例えば時々、体に障害を持って生まれる人がいるでしょう。そういう場合は、障害を乗り越える精神力があるんです。だから、わたしたちの場合は、突然目が見えなくなっちゃうとどうしようもなくなるんです。乗り越える能力がないんですね。若いときに足に大けがをして歩けなくなっちゃった場合は、「ああ、どうしようか」と。

しかし、障害を持って生まれた人は、なんとか補える精神力があるんですよ。だからわたしが言いたいのは、誰だって問題はありますよ。問題を乗り越える能力も当然あります。

 

自我を張って、自然法則を破って罪を犯している人々は、目の前で不幸になっています。

例えば借金をする。自分に今、経済能力がないということでしょう。それなのに借金して払っちゃえばいいでしょう、ということでは、後になってどうやって払えるんですかね。それで借金地獄に陥る。

 

日本ではテレビでは六割がローン会社のCMで、「借金だらけの国だ」と言っていたんですね。これは世界では、健康な国にあってはならないことです。資金を借りるのは大丈夫です。それには銀行やそういう組織がありますからね。商売やるとか、その場合は資金提供するのは常識的ですが、それ以外はダメです。

 

法則を犯しているものは、罪になってしまいます。たとえば、ホームレスになるとかね。もともと生き方が間違ったんですね。日々の問題に対応できるのに、余計なこともしてやるぞと。そこら辺は気をつけなくちゃいけないんですよ。だから、どんな人間にも、自分にかかって来る問題は解決できると言ったでしょう? でも皆さんのこころの中で、できない人もいるんじゃないかな? と思ったでしょう。いるんです。その場合はやりすぎで、法則を壊しているんです。調子に乗り過ぎなんです。

ときどき会社が、税金を払わなくてごまかしたりして、会社がそのまま倒産することになったりするでしょう。あれは法則を犯しているんです、どこかで。調子に乗って、自分に解決できないところまで手を出している。必ず壊れます。

 

だから、理性があって、「わたしには毎日問題がある。それを解決できる能力もありますよ」と。ですから、想定しないことですね、明日どうなるのかと。今日はどんな問題かな? という感じでいればいいんじゃない?

「今日はどんな問題かな? あ、これは管轄外だ」と。そんな程度でいればいいんじゃないかなと思いますよ。

頑張ってください。

 

 

東京法話と実践会 2015.10.25

http://www.ustream.tv/recorded/76180966

(46:00ころ)

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