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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

業をマネージメントする(1)整理整頓

説法めも 因果法則・業(カルマ)・輪廻転生

(関西定例冥想会 2011.12.11

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/1627672.html よりメモしました)

 

よく日本で聞く言葉で、「マネージメント」というのは、管理ということですね。

これはとても大事なことなんですね。マネージメントというのは。

 

おもしろいことは、何一つもうまくいかないんですね、このマネージメントが。買い物しようが料理作ろうが、家のことでも、なんでもかんでも、われわれはマネージメントしなくちゃいけないんです。大会社であろうが、財閥であろうが、普通の家の台所であろうが、すべてこのマネージメントというね、管理することによって成り立っています。どこかで管理を間違うと、どうなるかわからないんです。

 

今の社会で、経済状態が悪くなっていますけど、これはマネージメントの仕方があほだからなんです。他は何のこともないんです。経済の基本の基本というのは、収入と支出のバランスでしょう。これは金融関係で関係ないことになっています。現代文明というのは、すべて借りて商売をする。いつでも借りて借りて、商売する。

それで、金貸し屋さんができてきて、この連中が世界を支配しているんですね。

 

そこでこの金貸し屋さんたちが、厳しく自分の利益だけ考えているんですけど、この連中がまたあほで崩れていくんです。恐ろしいことになっていますね。マネージメントができていません。

 

わたしが、一番腹が立っているのは、アメリカのいろいろな組織がありますね。格付け会社。あいつらは何やと。あれは金貸し屋さんと組んでいると思いますよ。誰かをつぶして金を儲けたいと思っちゃうと、格付けを発表するんですね。アメリカの経済状況も決して良くないんですよ。一般人がデモをやって訴えています。アメリカに民主主義は全くないんだから、そんなことをやって、政府に対して何か言ったら、何をされるかわからないんですね。それなのに、ウォールストリートを占領したり、各地方でデモをしている。「仕事をくれ」と。アメリカで金を持っているのは一割の人々でしょう。その人々が派手なことをやっているということは、素晴らしいということですね。とんでもないことになっていますね。

 

そこで、アメリカの格付け会社が、「アメリカの経済状況は最高で、ヨーロッパはダメ」と。なぜかと言ったら相手をつぶしたいだけなんですね。そのどうでもいい会社がした評価を、世界のあほたちがね、なんでそれに乗るのかい、と。だから世界はあほに支配されていて、マネージメントというのはどんなところにも見当たりません。

 

だから、みんな苦しんでいるんですよ。皆様も一人一人が、生きていくのは大変ですよ。そこは厳しく(マネージメントを)しなくちゃあかんところなんですね。

 日本でどうしてマネージメントができないかというと、調子に乗るんですね。傲慢になるんです。「俺には間違いがなし。失敗がなし」とか、そういうとんでもない態度で壊してしまう。謙虚に自分のやっていることをマネージメントしないと、生きていられません。

 

そこで原発問題とかね、はちゃめちゃになったのは、マネージメントが全くないから。危機管理という言葉があるのに。危機があるはずがない、だから管理はいらん、という。危機があってもなくても、管理が必要です。だれも危機をほしいと思っていないでしょう。

 

そういうことで、人間がえらそうに言うんだけど、実際はマネージメントの分野は膨大です。大学で研究分野として、アメリカでは大学丸ごとその分野であるんだから。それなのに、普通の家庭の奥さんほどの管理能力がないんです。MBAとか取ったとしても、そういう人々ですよ、世界をはちゃめちゃに壊しているのは。家庭の奥さんがそういうことをまずやらないでしょう。何とかして家を守るんだから。収入があろうがなかろうが、夫が出て行こうが、関係なく奥さんたちが家をちゃんと守っているんだから。あれはもう、抜群のマネージメントなんです。

 

女性のマネージメント能力がなかったら、世界はないでしょうに。ですから、マネージメント能力がない夫は台所から追い出されて、まるっきり能力のない連中が、「じゃあ世界を支配して、管理してやるぞ」と思っていて、だからいつでもこの世の中には、安穏というものはないんですね。

 

仏教を学ぶ皆様方も、厳しく、このマネージメントということを学んだ方がよろしいんです。仏教は徹底して、このマネージメントがあります。マネージメントと派手には言わない。基本的なことだから。「水を持ってこい」と言われたら、コップかグラスに水を入れるのは当たり前でしょう。「水を一杯飲みたい」と言われたら、何か入れ物にいれて持って行かなきゃあかんだから、わざわざマネージメントをどうするのかと教えてないんだけど、経典をずーっと読んでみてください。見事に整理整頓して、お釈迦様はしゃべるときでも、しっかりと概念を丁寧に並べて、ときは順番さえもものすごく厳しくなっています。

 

八正道、四聖諦、世の中の人間が四種類いるんだよとか、お釈迦様は面白おかしくしゃべるでしょう。牛も四種類いるんだよ、同じく人間も四種類いるんだよと、それは面白く語っているところです。それでも、あの順番は!

 

たとえば、冥想するとき邪魔になるのは五蓋 *1

だといっているでしょう。五蓋の順番はどうでしょうか? あれは順番を入れ替えては不可能です。こんなマネージメント技術は、世界でほかに存在しません

 

中部経典、長部経典を開けてみると最初の経典は、すべてまとめて中身を説明する内容になっています。だからものすごく最初の経典が難しいんです。長部経典では、梵網経(ぼんもうきょう)という、世界にある一切の宗教哲学をビシッとまとめています。これからもそれを越えた別の論考を作ることは不可能です。人間が何を考えたとしても、その64の哲学の中に入りますよ、とお釈迦様がおっしゃる。

 

マネージメント能力がなく、こんな大胆に言えますかね? だって怖い言葉でしょう? 「生命が思考可能な範囲は、すべて、この64種類の中に入りますよ」と。その中で、ただ思考パターンだけではなくて、どうやって知識を得るのかと、認識学的に分析している。知識を得る方法まで。

 

中部経典になってくると、「生きるとは何か?」という哲学になっているんですね。そこでまず、人間の思考の問題が第一経典で出ているんです。「何か認識するときは、このように一般人が認識するだろう。しかし覚者は、そのように認識しないだろう」と、そこから残りの152の経典が続いていきます。

 

だからお釈迦様が45年かけていろいろなところへ行き、いろいろな人にしゃべったことなんです。そのまましゃべった順番で並べたらどうだったでしょう? 人間に理解できなくなりますよ。もう永久的に調べて、調べて、研究する羽目になっちゃうんです。

 そうではなくて、人間の知識能力をこえた智慧の能力で、整理整頓しておいておくんです。

 

だから、出家の場合は、便所をどう使うのか、寝るところはどう使うのか? 衣はどのようにたたんでおくのかと。腰巻はどのように着るのか、上の着物はどのように、とものすごく微妙なところまで全部書いてあるんです。

 

ですから、このマネージメントということ、整理整頓する・管理するということはものすごく大事なことなんです。それがなくなると、水は持って来たんだけどグラスは割れました、ということになります。水に価値があるんです。しかし、グラスが割れたら?

 

そういうことで、人生においても「マネージメント」ということがとても大事です。だから仏教は、信仰は大っ嫌いです。信仰っていうのは成り立たないんですけど、もともと。理性で、「これだからこうなるんだ、これだからこうなるんだ」とやってみなさいと。なんで仏教がマネージメントの教えになるのかというと、仏教は因果法則ですから。仏説とは因縁法則ですから、当たり前なんです。マネージメントと言えば因縁法則です。「こうだからこういう結果になりますが、それはマズいから直しましょう」というマネージメントです。

 

それで、今日教えたいポイントは、それじゃないんです(笑)。今までは前置きなんです。

 

業のマネージメントをしましょう、ということを言いたいんです。カルマをマネージメントしましょう、と。

(次回に続きます)

 

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【目次】説法めも

*1:「冥想実践する人にとっては、たいへんな危険が五つある、ということです。仏教用語で「五蓋(ごがい)」というのです。こころが成長しないように、五つの厚く重い「重石」に抑えられているのです。弱いこころは、立ちあがれないのです。
  一は、五欲に対する未練です。
  二は、怒り・嫌な気持ちです。
  三は、悼挙(じょうこ)と後悔です。
  四は、昏沈(こんちん)と睡眠です。
  凶暴な虎が棲息するという五番目は、疑(ぎ)です。」

引用元 http://www.j-theravada.net/howa/howa176.html

参考 「サマーディ瞑想では五蓋(ごがい)が睡眠状態になります。 五蓋というのは、欲・怒り・混乱(後悔)・眠気・疑ですが、それが睡眠状態になると本人がなくなったような錯覚は起こります。」

慈悲の瞑想から近行定に入りました【禅定について】 - 瞑想してみる

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