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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

冥想に成功するポイント(1)これでもう苦しまない

質問

スマナサーラ長老の著書『これでもう苦しまない (学研新書)』

*1 

の中に、『仏教は、経験する苦しみに比較すると、経験する楽しみは決して割に合わないという立場なんです』と書かれていますが、これはどういう意味ですか? 楽して儲けられない、という意味かと思ったのですが……。これは原則ですか?」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

そうですね。原則なんですよ。人間の世界では、楽して得る方法というのはないんですね。

 

わたしたちは一般的には、楽して金を儲けられませんよという程度に考えていますけど、問題はもっと深いというか、もっと厳しいんです。冥想などをしてドンドン観察するならば、われわれはすごい苦しみを負っているんじゃないかなということに気づくことはあり得るんです。現実です。どうしようもないことです。

 

たとえば、俗的な話じゃなくて、仏教から考えると、われわれは目がありますね。目から結構楽しむでしょう。目があるんだから楽しい、ということはいっぱいあります。では、朝目が覚めてから、夜寝就くまで、「楽しいものか・つまらないものか・嫌なものか・あまり刺激が生まれないものか」に分けて見てください。楽しくて感動するものはあるのかい? と。

ものすごく少ないんです。ただわたしたちには、生存欲というものがありまして、これは病気なんですけど、この病気のせいで気づかない・なかったことにする。だから仏教というのは、科学的に客観的にみるものだから、朝起きてから見えるものは、あえて楽しいと思うことは可能ですが、「これって本当に楽しい? つまらない?」と調べてみると、つまらないものは大量にあって、見たくはないものは結構ありますよ。

 

大量なんですね。自分の子供のしても、ニコッと笑っている顔はいいんだけど、わがままな顔は見たくないしね。お母さんにけんかを売っているときの顔は見たくはないし。そういうふうに、同じものであっても、かわいくてたまらない顔と別にどうでもいいやというときの顔で比較してみると、楽しくないものは大量になってくるんですね。

 

耳がありますね。耳で結構楽しみます。目と同じことでしょ。耳があるおかげで、漫才を聴いたり音楽を聴いたり、楽しんでますよ。耳は二十四時間、機能していますからね。二十四時間聴覚がありますよ。それを、楽しいもの・つまらないもの・嫌なものに分けてみると、楽しいものは三分の一にもなっていません。ほんのわずかなんです。

 

舌でも結構楽しむでしょ。おいしいものを食べたりね。ちゃんと、仏教でいう「苦・楽・不苦不楽」になっていますかね? 三等分になってますかね。たとえ均等に三等分されたとしても、楽しみは全体の三分の一だけですからね。しかし、均等ですらないんです。楽しみはほんのわずか。

味覚を楽しむのは食べているときでしょうね。食べているものはおいしいものばかりですか? ゆっくりよく感じて食べてみると、そんなにすべておいしくてたまらん、ということにはならないんです。

 

俗世間の楽しみは五感から得るもので、感覚は三つで、楽・苦・不苦不楽ですが均等ではないんです。楽しみがないとは言いません。取るに足らないほど少ないと言います。たとえば、料理は食べるのが楽しいんだけど、計算してみると、材料を手に入れるプロセスをみると、どうですか? 仕事をする、金を手に入れる、それで買い物をする、家に戻って料理する……、どれほど大変でしょうか。そんなに大変だと思わないかもしれませんけど、刺激的で楽しいことですか? ワクワクしますか? 

 

どちらかというと、やらなくちゃあかんだから、いやいやでもやっていることなんですよ。義務感で、逃げられないし。そこで、長い時間がかかっていますよ。それで食卓に用意して、食べるのはあっという間に終わっちゃうんですね。それからまた、後片付けが待っているんですよ。食べるのは十五分くらいで終わっても、皿を洗って乾かすのにどのくらいかかりますかね。十五分で食べても、後片付けには三十分かかってしまう。

 

そこで、客観的に評価しなくちゃいけないですよ。気分で、いい加減で、感情で評価してはダメなんです。仏教は、客観的な世界だからね。しっかり見てみるとよくわかりますよ。生きることは、食べて楽しむ五分くらいの時間のために、どのくらい準備と片づけの時間がかかったのか? そういうふうに一個一個調べてみる。

 

肉体も同じことで、楽しむのはほんの少しの瞬間だけで、あとは邪魔なものばっかりなんですね。歩くと疲れるわ、座っていると足が痛くなるわ、もうキリがないんですよ。体なんか全部痛みでできているんだから。かなり気をつけて使わないと、痛くてしようがない。気を使っても痛むんですよ。

 

そういうことで、楽しみはほんのわずかです。

われわれは感情的に、あまりにも苦しみがあるから、楽しみに食って掛かっちゃうんです。わずかな楽しみに。それだけなんです。だから、他は忘れちゃいます。

 

思い出した話なんですけど、女性が妊娠したら、その日から最悪なんですよ。体の状態は。食欲がなくなるわ、調子が悪くなるわ、もう大変です。けっして、妊娠しているときから、感動的で楽しくて、体調が抜群で、というのは絶対ないんです。

 

ですから、あの10か月間は日々苦しいんです。どんどん大きくなってくると、バランスが崩れるんですよ。それでも、自分の子供がおなかにいますから、さらに気をつけるでしょう。それから、陣痛はどうでしょうか。長い時間、陣痛がある。陣痛を医学的に消しちゃうと、子供を産めないんです。いくらでも今は痛み止めがありますけど。陣痛というのは出産に欠かせないんですよ。

 

それで、子供を産んだ瞬間に、今までの苦労を忘れちゃって、「なんて幸せですか」と喜んでしまうだけです。だから秒単位で計算しなさい、と。生まれた瞬間に、「なんて幸せですか」と感じるんだけど、それから寝られないんですね、一年間も。お産をして体がクタクタに壊れているのに、おっぱいを上げなくちゃいけない。すごい苦労していますよ。それでも、「やっぱり子供がいて、幸せ」と言う。

 

本当に脳が幸せを感じさせるんですよ。それも瞬間なんです。それに、妄想的に引っかかっちゃうんです。それを思い出して、「良かった、良かった」と妄想で引っかかって、ごまかすんですね。そういうことだから、客観的に・冷静に見ると、感情やらへんてこりんなものがなく、科学者のように観察してみると、「取るに足らないものだ」ということがわかってきます。

 

これは五感のこと。ですから、お釈迦様は五感に依存すると、冥想には成功しないと言っているんですね。五感から快楽を得ようと思っている限りは、もうダメ、アウト、失格。冥想は成長しないんです。五感からは、間違って楽しみが生まれますけど、それはちょこっとでしょうに、と。そう言って、こころだけ成長するようにしなくてはいけないんですね。

冥想に成功するポイント(2)怯えも怒りの一種 に続きます)

 

*この記事は以下の音源よりメモしました。

関西定例冥想会 2011.03.11

■ 仏教は、経験する苦しみに比較すると、経験する楽しみは決して割に合わない ということへの質問■

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/1686205.html

 

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*1:

これでもう苦しまない (学研新書)

これでもう苦しまない (学研新書)

 

 

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