ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

ペットを飼うということ

質問

「『これで幸福になると思って何かできたとしても、手に入れたものから新たな苦しみが増えてしまうのです』と書いてあって、犬を飼う例が出ていますけど、『一つ手に入れて、楽しくなって別の苦しみができる」というのは理解できますが、『苦しみがたくさん増える』ということがよくわかりません。昔はよかった、という考えにつながるのではないでしょうか?」*1

 

回答(スマナサーラ長老)

 

昔はよかった、ということはありませんね。われわれは「今はダメだ」という考えで生きていますし、振り返ってみると、今はかなりダメで、昔はそれほどダメじゃなかったと気づくだけの話です。だからお釈迦様がおっしゃっているように、「今が楽しい」とするしかないんです。

 

例えば、生活すれば毎日同じパターンなんですね。「一つの楽しみを手に入れるためにたくさんの苦しみが生まれる」というのもその通りですよ。犬の例を出したのも、(スリランカのお寺で)犬を飼っていた時、ものすごくかわいかったし、性格もよかった。しかし、わたしが日本に来て、誰もその犬の面倒をみてあげないんですね、優しく。

 

わたしはその犬を抱っこして、一緒にベッドに寝かせて同等に面倒を見ていた。車でどこかへ出かけるときも、その犬はわたしの膝の上に乗るんですね。それで毛むくじゃらになっちゃて、坊主ですから人と会いに行くのに汚い恰好ではいけないのにね。あまりに興奮すると、その犬はよだれもおしっこもたらすし、全部わたしに付いちゃって(笑)。

 

わたしは大事に面倒を見ていたけれど、寺の他の人たちはたいして面倒を見なかったんですね。それでその犬は歳を取って耳が全く聞こえなくなったりして。それでわたしは、ものすごく悩んじゃうんですね。

「なんで、この子の耳から何か出てきたときに、医者に見せなかったんでしょうか」とかね。それでみるみるうちに歳を取っちゃうでしょ。毛が抜けて衰えていって、それは悲しいんですよ。

 

「かわいい」と遊んでいる時間よりは、心配する時間のほうが長いんですね。かわいいと思ったことが、わたしにとって楽しみでしょう。そのためにはけっこう、長い時間苦しみがあります。その犬が亡くなってもう一年たっていますけど、まだその犬のことをしゃべりますからね。

 

ですから、苦しみがたくさん増える、と言うしかないでしょう。

われわれは人間として生きているんだから、それを避けたければ、すべて捨てて出家するしかないんです。だから、これは避けて通れるわけじゃないんだから、人生ってそんなもんだと生きて行けば気楽にいられる。

 

犬を飼いたければ飼ってもいいんだけど、そんな楽なもんじゃないよ、と覚悟をすれば、精神的には大丈夫ですね。現実的には苦が多いんだけど、二番目の矢にはやられません。精神的な悩み苦しみにはつながりません。仕事は大変なのは当たり前だ、ということで覚悟しておけば、どうしても避けられない苦しみは受けますが、お釈迦様がおっしゃっている二番目の矢はなくなります。*2

(この質疑応答はおわり。次回「一切の感覚が苦である」とはどういうことですか?|Buddha’s brain も今回のものに連続した質疑です。)

 

*この記事は以下の音源よりメモしました。

関西定例冥想会 2011.03.11

仏教は、経験する苦しみに比較すると、経験する楽しみは決して割に合わない ということへの質問■

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/1686205.html

 

家族・友人・ペット カテゴリーの記事一覧 - 瞑想してみる

すべての「説法めも」を読むには:【目次】説法めも

*1:

 この質問内容は、この本から引用されている。

これでもう苦しまない (学研新書)

これでもう苦しまない (学研新書)

 

この本について、ほかの質疑応答は ⇒

冥想に成功するポイント(1)これでもう苦しまない - 瞑想してみる

*2:苦の「二本の矢」のこと。相応部経「受相応」に詳しい。

参考法話:

パーリ経典講義「相応部六処篇2受相応2独坐品独坐経」(Dhammacast) - Theravada Online ゴータミー精舎日記

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