ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

葬式と金と酒

質問

「お葬式に関する質問なんですけど、わたしの祖父が亡くなりました。一緒に住んでいた人が亡くなったのは、今回が初めてでした。

死んだときに思ったのは、葬儀会社に電話すると、お金の話ばかり。この祭壇はいくらですよ、とか。このプランはいくらですよ、とか。ずっとお金の話が続く。

お葬式が終わった後は、お酒を飲むんですよね。仏教とかけ離れたことをやるわけじゃないですか。かといって、葬式に出ませんということはできません。どう折り合いをつけていけばいいでしょうか?」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

葬式という儀礼は、どんな世界にもあるものです。人間はどこでも、それなりの葬式をやってしまいます。

今はもういないんだけど、未開の地にいたブッシュマンも、葬式はやるんです。

 

それで、それぞれの文化によって葬式のやり方が違う。動物も、全部じゃないけれど葬式をする動物もいます。

カラスも派手に葬式をやります。カラスの死骸はあまり見たことがないでしょう。わたしはあります。カラスが派手に葬式をやっていて、そこに死骸があるとわかりました。カラスの死骸が地面に落ちているんです。その上をカラスが回って、ギャアギャアギャアギャア、一時間・二時間くらい鳴きますよ。

 

わたしはどちらかと言うと、カラスの声で何を言っているのかとわかるバカで(笑)、これは何か大変な出来事が起きているんだと。それで、一部のカラスたちが死骸のところにいるんです。他は降りてこない。あれは、親戚関係でしょうと勝手に妄想するんですね。同じ群れの仲間がなくなったんだから、近寄ってギャアギャアギャアギャアと鳴く。上のカラスたちも鳴いて鳴いて、それからいなくなった。埋葬することは不可能だからね。

 

カラスの肉と言うのは、あまり動物たちも食べたがらないんですね。カラスは、羽がちょっと落ちているだけでも、ビックリして興奮して、危険信号をみんなに送っちゃう。

 だから、なんかやっちゃいますね、みんな、葬式を。

 

 かなり若いときに見まして、最近YouTubeでもみましたが、象さんもお墓参りする。アフリカのどこかに、象さんが死期が近づいたらある場所に行く。死んじゃったらそちらに骨が残る。あるとき、象の群れが来て、象は気持ちを表現しますから、なんかいつもと違う様子で、骨のところを回ったりして、鼻で骨を触ったりして、触るときは、とても丁寧に畏れ多い気持ちで触って、それから出ていくんですね。それをお墓参りだと、人間が勝手に翻訳する。

 

気になるんですね、とにかくね。だから、日本人が葬式をするというのはそんなに珍しいことじゃないんです。言えるのは、動物でも一部はやっているし、人間は当然やっているし。

 

別の角度で考えましょうね。葬式をやったほうがいいのか、やらないほうがいいのか。

やっても仕方がないんだから、やらないことにしましょう、といっても、どこかでなんか、「それでいいのかい?」という気持ちが生まれてくるんです。わたしは個人の意見で言えば、「やらなくてもいいんじゃない」と言う考えなんですけど、わたしの周りで誰かがなくなったら、その人がいた環境を計算して、しっかりやってあげます。わたしの意見で、「この人は葬式なし。遺体を処分しましょう」というのはできない。

 

例えば日本で、戦争のときにあちらこちらで死んじゃった人がいるでしょう。そのお骨を拾いに行って、こちらでお墓に収める。日本人はやっちゃいますね。

そういう感情は、理論ではない。なんの理屈もない。ただの人間の感情なんですね。

 

皆さんは、お寺と関係を切っちゃうんだから、葬儀屋さんがしっかり商売をしている。葬儀屋さんは知っていますよ。人間にとっては、葬式をやらずにいられないと。そこまで深く考えていないと思いますけど。そこで、マーケットに応じて商品を作る。たとえば、「無宗教でやってほしい」と依頼すれば、「ああ、いいですよ。できますよ」。「浄土真宗のやり方で……」と言えば、「ああ、OK、OK」。そういう店をやっています。

 

葬儀屋さんから来る人は、参列者よりも悲しい顔をしていますね。ディズニーランドのホーンテッドマンションのスタッフと同じですね。ものすごく暗い顔をしてね、「はい、どうぞ……」と、言うのがお化け屋敷のスタッフですね。

ああいうのは明らかに商売ですからね。

 

質問者の方にとっては、身近な人のことですから、(こういう商売は)なんかショックなんですね。いろいろと考えたりする。

 

仏教的な答えは、一人一人の生命が「個」です。個人なんです。お母さんと息子の命が一緒ではないんです。もしお母さんが「あなたの命はわたしのものだ」と言ったら、息子は怒って「放っておいてください」と言うでしょう。産んでおっぱいを上げて育てたからと言って、子供はお母さんのものではないんです。個は個であることははっきりしているでしょう。仲良く一緒に活動しているからといって、勘違いするなよと。

 

群れを作って生きていますからと言って、個人には権利がありません、とすると、壊れるんです。なぜ、世の中で共産主義が壊れて粉々になったのかと言うと、「個人の権利を消してやるぞ」と思ったからです。それはあり得ないんです。そうすると恐ろしい社会が現れるだけ。北朝鮮みたいに。ソ連は崩壊しましたし、中国はもっと賢いし文化も古いから、国を崩壊させないで、共産主義はドンドン色を薄めて、薄めて、いくんです。そこで、個人財産を持ってもいいとなっている。土地は認めていないけれど、金はいくらでもOKだと。

 

それで、一人一人が個人と言うのは、確固たる事実です。一卵双生児でも、二人なんです。これも、ニューロサイエンスが言う話ですけど、この新しい命が現れて、八日間で、まだ命が現れていない、細胞が16個くらいしか現れていない。何かやるならばその間に調べて、処置をするならいいと思いますよ、とニューロサイエンスでは言っている。それ以上になってくると、やっぱりなんとかなく、命としての働きが始まるんだと。そして、一卵双生児として分離する時期も決まっているんですね。それで、遺伝子は全く別々のシステムであらわれる。同一ではないんです。遺伝子が同じだから、顔かたち、好き嫌い、声とか似ていますが、でも個としては違う。

 

仏教では、同じ人間がやったことの結果は、個人が受けるということです。死後を心配する方々は、自分の生き方を正さなくちゃいけないし。これは(葬式を)やるかやらないか、ということには関係ないんです。

日本社会とお酒 に続きます)

 

<東京法話と実践会 2015.11.29

http://www.ustream.tv/recorded/78705448(期間限定公開動画)

(48:00~1:09:00)より書きました。>

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