読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

脳とこころ(後編)

脳と仏教 説法めも

脳とこころ(中編) より続きます)

そういうことです。過程を正しく、幻覚がない状態を作る。それがすごくいいことです。たとえば、科学の発展によってわれわれは何と言っても楽になっているでしょう。科学は人に迷惑をかけていますけど、ほかの生命よりはわれわれはかなり早い進化をしていますね。動物と比べてみてください。どれほど人間が進化しているのか。あまりにも早いんですよ。

 

たとえば出はじめの頃の携帯電話と今の携帯。出はじめの頃の携帯を見たことがある? 肩にかけて、さらにレンガ一個くらいの受話器を耳に当てて、アンテナを引っ張って電話していました。それが今は、パソコンになっていますね。文章も書ける。わたしの携帯ではパワーポイントも使っている。健康状態もチェックしてくれる。全然あてにならないんだけどね。

 

携帯一つでお金のやり取りまでできるようになった。進化なんです。肉体も変わりますよ。思考も変わりますね。思考が変わっちゃうと、それによって体の構造まで変わってきます。変わらないのはね、長生きしたーい、とか、健康でいたい、死にたくはない、とかね。

 

仏教でいうのは、あなた方のは進化もどきだと。本物の進化ではないと。なぜなら、携帯があった時となかった時で、われわれの欲には変わりがないでしょう。欲が増えただけ。昔は、家で電話を掛ける。怠けがあるから、外でも電話がかけられるように公衆電話ができた。いまはそれが携帯になってポケットに入っちゃった。進化もどきですね。カモフラージュです。こころは進化していません。

 

思考も変化する。それに応じて体も変化する。昔なかった病気をいっぱい持っているでしょう。昔なかった弱みがあるでしょう。昔なかった強みも持っている。そこで種が存続するかしないか、百年、二百年たってからわかってくるでしょうね。このバランスがどうなっているのか。

 

われわれが提案するのは、進化しましょうなんです。それをあっという間に進化させてみせるのはブッダの世界なんです。われわれは存在欲をどうやって許可するのかではなく、存在欲そのものが成り立つのか調べる。存在欲が遺伝子になるんです。これって成り立たない、バカバカしいのに、遺伝子はどうしても続けたいんです。なんの意味があるのかというと何もないんです。だから、遺伝子時点でおかしいんです。存続しようと思っていろいろと遺伝子に入れている。遺伝子が存続したくて、したくて。たとえばアミノ酸でしょう。

 

仏教が教えているのは、ものすごい進化なんです。進化という言葉が当時なかったので超越という言葉を使っているんです。存在を超越する。あの幻覚が消えたところで、言葉にならない。当然言葉になりません。言葉は脳が作っているところだから。脳は幻覚だから。安らぎがあります。それで終わりだと、やるべきことは。

 

われわれは必死で進化もどきをやっている。輪廻転生も進化もどきです。進化じゃないということを仏教でははっきり言っています。こころが汚れたら悪いところに生まれますよ。善行為したら良いところに生まれる。だからどちらにも意味がないんだと。

 

仏教は当然、善行為しなさい、悪行為をやめなさいと言っていますよ。でも善を行うことが目的ではないんです。経典にもありますよ。お坊さんたちが修行しているところに、お釈迦様が、「きみたちのように一所懸命修行して善行為をしているのは、死後天国に生まれたいからでしょうと言われるのはどんな気持ちか?」と。ものすごく気持ち悪くなるんですよ。そんなことはやっていないんだと。仏教修行は、天国に生まれるためじゃない。あれは進化もどきです。過程ではあるんです。悪いことをした人が、次に良いところに生まれるわけはないでしょう。

 

そんなことで、キリがあるのか? 例えば悪行為して不幸なところに生まれる。それでその生命にチャンスが失われるでしょう? もっと良いことをしようかとか、人間に生まれても善行為できなかったのに、不幸なところに生まれたらなおさら善行為できるわけないでしょう。だから輪廻転生はとっても怖いものだと。

 

人間が渋々善行為をする。善行為する人間は少ないでしょう。渋々善行為をしていいところに生まれても、そのエネルギーがある限りなんですね。今肉体を持って生まれたでしょう。遺伝子が存続できる間と終わっちゃうんですね。遺伝子というのはコピーするんですが、変です、あれは。完璧コピーしないんです。遺伝子そのモノなんですけど。二十歳の時の肉体と同じ流れのプロセスの六十歳を見てください。肉体は弱っているけれど遺伝子は同じなんです。同じ遺伝子が細胞を続けているんだけど、なんか弱くなっているんです。

 

これは輪廻にも同じことで、すごい善行為をして天国に生まれ変わったとしましょう。でもドンドン衰えていくんです、あのエネルギーが。次どうなるか分かったものではないんです。輪廻そのものが恐ろしいものであると。できるだけ抜け出せと。待っているものじゃないんだと。おしりに火が付いた気持ちでやってください。

 

仏教の時間間隔は、一年二年じゃなくて、単位はナノ秒と似ているんです。ナノ秒は一秒の十億分の一秒です。だから、脳がデータを取って認識するためには、五~二十ナノ秒で認識している。それに引き比べてこころの変化がどれくらい早いかというと……。

 

そういうことで、こころも壊れていくと理解してください。壊れていくと修行しても意味がないでしょう、と思っちゃうかもしれませんけど、そうではありません。「過程」、壊れていく過程。だからけっして、物質がバラバラになって壊れても、こころは壊れないという話は仏教にありません。逆です。

 

お釈迦様にとって誰かが「物質がある」と言っても我慢できます。「でもこころがあると思うなよ。それは我慢できません」とお釈迦様がおっしゃるくらい、こころはものすごいスピードで壊れていきます。

 

仏教でどうして輪廻転生を言うのかというと、それは「過程」ということなんです。世間のある一部の人々が言っている輪廻転生ではないんです。原始時代に作った魂論の移住説ではないんです。魂が旅行しているわけではないんです。それは原始人が考えたもの。インド人は「魂が旅行中だ」と言うので、犬になったり豚になったりいろいろで、もともと神であったとする。西洋のほうは突然、神が人間を作っちゃって、魂を入れてくれたと。それが死後、二つの場所(天国と地獄)を旅行するんだとする。あまりにも石器時代的な話ですが固く信じている。それでヒンドゥー教の輪廻転生の話を馬鹿にする。でもデータが、人間が死んでまたどこかに生まれてというものがあることはあるんですけど。生命はほんの小さいスケールであれば簡単にデータがとれます。しかし実際はものすごく大きなスケールですから、ここで死んでどうなるのかというのは、宇宙全体を見なくては。だからそんなことをやるなよ、無駄だと、仏教ではあまりやらないんです。

一万兆分の一くらい、また人間界に戻るということもあります。その場合はデータがとれます。

 

はい、長くしゃべりましたけど、こころも壊れていきますが、過程があります。ということで、終了します。

 

東京法話と実践会 2015.12.13 

http://www.ustream.tv/recorded/79709203(期間限定公開動画)14:00~1:05:00

f:id:thierrybuddhist:20151219013232j:plain

説法めもの【目次】を見る

脳と仏教 カテゴリーの記事一覧 - 瞑想してみる

 

広告を非表示にする