スマナサーラ長老・東京年末特別法話 2015.12.23
http://www.ustream.tv/recorded/80316896(期間限定公開)より書きました。
Twitter実況:http://twilog.org/jtba_talk/date-151223/asc
兵庫県の三田(さんだ)というところにマーヤーデーヴィー精舎がありまして、ゴータミー精舎はお釈迦様の育ての母親の名前で、マーヤーデーヴィーは産みの母親の名前です。仏典を見てみると、お釈迦様はゴータミー妃に対してはものすごく大事にしていたんですけど、産みのお母さんの名前はあまり出て来ないんです。でもなんか、お母さんの名前を付けたお寺のほうがもっと発展している。
とにかく、そんなことはどうでもいいんだけど、「三田」というところは、昔は「三福田(さんふくだ)」という名前だったそうです。三田のとなりは「道場」と言う地名でね、もしかするとお寺関係の名前を付けてあったんだと思います。
三福田(さんふくでん)というのは、三宝のことなんですね。仏法僧のことなんです。仏法僧というのは人間にとっては限りのない幸福を与えてくれる、畑・田んぼですね。だからそれで、ものの見事にたとえを使っているんですね。皆様方は田んぼからただで食べ物をもらおうと思っているでしょう? そうじゃないんです。田んぼがあったら幸せですけど、種をまきなさいよと。ものすごい豊かな土地なんです。これほどの豊かな土地がないと言えるほどの田んぼなんですね。それほどなのに、さらにお祈りしても仕方ありませんね。
だから、ものすごい田んぼをいただいたら、種をまかないといけないんですね。
それで、自分がどれくらいの結果が欲しいかと思って、種をまけばいいんですね。畑はすごくいくらでも良い結果を出してくれるんです。
そういう意味で、仏法僧のことを三福田と言っています。
その言葉をみても、世の中にある宗教とは、人生に対するアプローチが物凄く違うんですね。
昔、わたしも小さいときに勘違いしていましたけど、皆様と違ってわれわれは他宗教文化だからね、他の方々が教会へ行って「神様は偉大なり。あれちょうだい、これちょうだい」と言っている代わりに、仏教では仏法僧がすごいやと、神の代わりの置き換えではないかと、なにも勉強していないときはそう思ってしまったけれど、やっぱり違うんですね。置き換えではないんです。
とにかく、他宗教を参考にしていません。ブッダの言葉をちゃんと勉強して理解していると、他宗教を参考にすらしていないんです。例外は、雨安居なんですね。当時の社会が、「雨季は、修行者は歩かないんだよ」と。特にジャイナ教の人々が激しく雨季の修行を禁止しました。
仏教のお坊さんはジャイナ教の人々と一緒に修行の旅に出たんですね。時間をずらして同じ道を旅しました。お互いライバル同士でも、一緒に旅をするんだから、雨季の時だけはブッダの弟子だけで。これはジャイナ教にとっては気に入らんですね。けんかしたっても、相手がいなくなっては寂しいんですね。
それで、とんでもない、けしからんやと。雨季で虫たちが地面から出てきているのに、それを踏みつけながら、殺生しながら、何をやっているのか、とジャイナ教の人々は言う。あんまりにも言われるものだから、お釈迦様は、いいやと。それなら雨安居に入りなさい、と。それだけですね。
でもほかの宗教から、なにか影響を受けて変えたことは、ほかに一つもないんです。服の着方とかね。今はインド人が、わたしたちから真似て、このような服の色とか体に巻き付けたりして、インド人が金儲けしていますけど、もともとそんなことはしていなかったんです。服装もしっかり着なさいと言ってきたのは仏教なんですね。
髪の毛をそることはジャイナ教と同じですね。でも真似したわけではない。お釈迦様はその理由を言うんですね。「髪の毛があってもいいんですけど、面倒くさいんだ。洗わなきゃいけないし、髪型はどうするのか」と。わたしが思ったのは、シラミが出たらどうするんですかね? 殺生しない人びとが。だから初めから虫が現れないように、からだを清潔に保つ。
それも他を真似したり、コピーしたわけじゃないんですね。
(年末特別法話 2015(2)仏教徒は明るいに続きます)
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