ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

年末特別法話 2015(5)善は執着を捨てる世界

年末特別法話 2015(4)生命はメインじゃなくてサブ から続きます)

わたしはこういうニューロサイエンスの本を読んでいますが、専門用語なんか半分くらいわからないんです。自我を作るセクションで、なんとかという名前のセクションがあってと、さっぱりわからない。そこで別の医学書に当たらなくてはならないですね。脳の精密な部品名は何なのかと。あまりに大量にあるんだから、面倒くさくってやめちゃったけど(笑)。

 

とにかく、論点だけは理解するんですね。そこでわたしが思うのは、そこまでわかっているんだったら、ほんのちょっとアプローチを変えたらどうですか? 思考を変えたらどうですか? そちらに見事な答えがあるでしょう、と言いたくなるんです。

 

それで、無執着プログラムは、人間にわからないんだから、かわいそうだからとにかく経験させますということで、仏教はいろんなことを膨大に語っているんです。宗教ではないんだけど、信仰したってもいいんだと、真理だから。わからなくてもいいからやってみなさいと。やってみて、結果が悪かったらやめてもいいでしょう、という調子で、教えるようになっちゃったんです。理解するのはやっぱり無理ですよと。そういうことで、一応やってみてください。

 

では、仏教に、ブッダの教えに学ぶと言ったら、まずわれわれは三帰依するんですね。三帰依するとは、執着を捨てる世界なんです。師匠はブッダなんです。本気で、わたしの師匠はお釈迦様だと思ったら、世の中のいろんな知識持っている人々はそんな価値がなくなっちゃうでしょう? 師匠はブッダですよ、とそれだけで。

コックさんになりたい人は、七、八年苦労しながら、非難侮辱を受けながら弟子入りして学ぶでしょう。それで師匠は神様だと思わなくてはあかんでしょう。漫才師を目指す若者も、誰かに弟子入りしたら、まあ、こき使われて大変なんです。

 

歌の世界で有名な北島三郎さんも、やくざのドンみたいな感じでしょう。テレビではいい顔をしているけれど。弟子をちゃんと育てますよ。弟子たちが師匠を神様のごとくお世話して、すごく苦労しなきゃあかんです。芸術世界だから、舞台ではすごく冗談を言ったりしてみんなを楽しませますよ。でも終わった途端、まるっきり違う。恐ろしい地獄世界が、上下関係があらわれてくるんです。師弟関係ってそんなにきつくなって苦しむ必要があるんですか? 神経質で苦しむと能力が向上しないでしょう? 逆に、仏教徒だったらあまり気にしない。わたしの師匠はブッダですからと。

 

仏法僧に本気で帰依したなら、その時点で、この世の中にいて苦しみが消えてすごく幸せになるはずなんです。どこかに弟子入りしたければできるし。そこでほかの人よりサッサッサと学んでいくし。言うまで待たないで、その師匠の機嫌をとってお世話もするし。師匠からすれば、この弟子がすごいいい子やと、わが子のように愛情を持って育ててあげる。そこはストレスのない世界です。お互い気持ちがいい世界が生まれるんです。そこを作るためにはやはり、本物の師匠はお釈迦様であると納得いかないと。

 

その時点で、われわれは世間に対する執着を捨てているんです。存在欲システムに、執着を捨てているんです。たとえば、ある人を応援する場合は、執着の世界でしょう。楽じゃない。その人のいろんなところが怪しいなと思っても、胡麻化さなくてはいけない。応援しなくちゃいけない。批判すると追い出されますから、苦しいんです。だから、細胞に、遺伝子にある感情の世界ですね。

 

そういうことで、善というのは、執着を捨てる世界です。三帰依するだけで、執着を捨てる。その分幸せになる。そこにあるのは五戒でしょう。わたしは殺生しない、戒を守ると言ったら、何か捨てなくちゃあかんでしょう。そこで、捨てる世界なんです。何を捨てるかというと、生き延びるためには、ほかの生命を取らなくてはいけないから殺生しなくちゃあかんでしょうと思っても、でも殺生しないということにしたんだから、その時点で遺伝子の感情が断たれているんです。それが善行為になって幸福をもたらす。

 

生きるために物が必要でしょう。でも、盗らない。これはあなたのものだ、といわれるまで待たなくちゃいけない。欲しい物だったら盗っちゃうというのはいたって簡単です。動物を見ると、ほしいものは盗った、それで終わり。これは誰のものかと周りを見ることもないんです。

 

人間の場合はちょっと違うんですね。食べたいからとコンビニに行って勝手に床に座って食べ始めませんね。だからちょっぴり人間がマシなんですけど、でもチャンスがあったら盗っちゃうんです、結局は。

 

そこで言い訳まで作る。命のためだと。たとえば飢えている人がいて、しかたがなく、どうしようもなく、コンビニで弁当を盗って逃げる。

 

そこで、なんで与えられていないものを盗ったのかというと、遺伝子なんですね。存在欲ですね、細胞の。それで、与えられていないものを盗らない、ということでも、欲に対する戒めがはいっているんです。生きていきたいという気持ちが入っているでしょう。それは遺伝子の気持ちであって、脳の気持ちではないんです。脳はそれを許可しただけで。生きていきたいというのは、各細胞が生きていきたいんです。だからといって、合法的に取っていいもの以外は取らないんだと。

 

よこしまな行為というのは、それも遺伝子の気持ちなんです。子孫を作りたいんですね。子孫を作ること自体、バカバカしい行為なんです。

 

ドーキンスさんが言うには、遺伝子はエゴイストで、自分たちが生きていきたいだけだと。われわれは遺伝子に馬鹿にされて乗せられているだけだと。だから自分たちが、次の遺伝子を作って、ハイさようなら、と乗り物を壊すんだと。ドーキンスさんがわかっていないことは、遺伝子が生き続けたいと思っても、生き続けられないことなんです。だって新しい子孫というのは同じ遺伝子じゃないんだからね。アメーバみたいに単細胞の場合は同じ遺伝子になるんだけど、そのときでも物質は違うんです。外から取り入れた塩基なんです。同じものじゃないんです。

 

形が似ているから、これは俺の子供だと言える? だから、死ぬは嫌がっている遺伝子が、解決策として新しいコピーを作っておくんです。自分をそのままコピーしたちゃうと、すぐ終わりますよ。だから別の生命体として、自分の遺伝子を半分あげて、残り半分はどこからか持って来て、新しい命を誕生させる。それは新しい命なんです。残念ですけど。自分の子孫じゃないんです。同じものじゃないんです。遺伝子は永遠だと、イモータル・ジーンという名前を付けたかったそうです。セルフィッシュ・ジーンという本に。しかし、本屋が出版社が、セルフィッシュジーンという言葉がいいと。

 

本当は「不死なる遺伝子」というタイトルを付けたかった。不死なるとはどういうことか、遺伝子はすぐ死ぬんだからね。

年末特別法話 2015(6)布施とは に続きます)

 

スマナサーラ長老・東京年末特別法話 2015.12.23

http://www.ustream.tv/recorded/80316896(期間限定公開)より書きました。

Twitter実況:http://twilog.org/jtba_talk/date-151223/asc

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