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Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

めもめも…φ(..)-新春講演会『どっちがホンモノ?』2016/01/09(土)

2016/01/09(土) スマナサーラ長老 新春講演会『どっちがホンモノ?』

前半http://www.ustream.tv/recorded/81162410

後半http://www.ustream.tv/recorded/81166261(前後半とも期間限定公開)

実況ツイート(パーリ語の記載もあります)http://twilog.org/jtba_talk/date-160109/asc

 

今回、特にメモしておきたいのは、後半の動画で50:00~頃からのところ。

以下、スマナサーラ長老の法話から書き取りました。

 

(真理を学ぶ過程において、)

Paññāya ca naṃ ativijjha passati.

知恵によって、鋭く観られるようになる。

 

「真理に達する」

Ettāvatā sacca manubhujjati

ここで、真理を発見したというのです。

Natveva tāva saccānupatti

まだ、真理に達してないのです。

 

真理を発見したんだけど、自分自身が真理になっていない。お釈迦様はもう一ステップ入れるんです。

ヴィパッサナー冥想が進んでいる方々には、これはいつもややこしいところで、「無常だ、無常だ、というのはわかりましたよ」「自我がないというのはわかったよ」と言うんだけどね。

「わかった、というのはわかったんだけどね、もう一ステップあるんだよ」とわたしは言いたいんです。あんまりそこを納得してくれないんです。

「自我はないのは、わかりましたから」と、「わかった」だけでは足りないんです。

「真理に成らなくちゃ」です。

 

Dhammānaṃ āsevanā, bhāvanā bahulī kammā saccānupatti hoti

発見した真理を実践する、育てる、繰り返すことで、真理に達します。

 

そこで、ヴィパッサナー冥想で、「生滅、生滅」「無常、無常」とわかっても、それでは足りないんですね。そこを、さらにさらに、繰り返し繰り返し、リピートしていくとドンドン脳の中で、しっかりしたプログラムが起きちゃって、変わっちゃうんです。

 

だから真理に、「達し」なくちゃあかんです。真理に「成らなくちゃ」です。

(真理を)わかることは、脳が先にするんです。脳が主体で、わかる。次に、脳が「そのものに成る」ステップです。

本当の覚りとは、その最後のステップです。

 

というわけで、仏教の覚りとは、ただの知識遊びではないんです。

 

「無常だ」「無我だ」というのは、仏教を学ぶ過程で、「自我はないのは、わかりましたから」となってくるとのことですが、それをいかにして「無常そのもの」「無我そのもの」にする(成る)のか……?

今回の法話では、そこのところの「もう一ステップ」を教えていただきました。

 

~この功徳を生きとし生けるものに回向いたします~

 

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