ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

西洋も他宗教信仰-ブッダが説く諦めとは何か(3)

東洋は他宗教信仰-ブッダが説く諦めとは何か(2)から続きます)

宗教の世界では、巨大な宗教の場合は、神を信じなさい、神が言った通りのしきたりを守りなさい、と。

よくよく見ると、それは日常生活で邪魔なんですね。たとえば、一日何度も祈りをしなくてはいけない。暇があるときに祈りなさいじゃないんですね。一日の間の忙しい時間に祈らなくてはいけない。朝は四時くらい。また八時くらいになったらお祈りして、十二時くらいに、また。そのとき会社とか店とかできないでしょう。だから買い物したい場合は、中国系の店に人は行く。それで華僑の方々はもうかりますけど、それは当たり前なことなんですよ。

 

そうやってよくよく見ると、普通の生活に邪魔になるものが教えられていますね。全体的にはどう生きるべきかということは教えていなんです。

 

日本では、仏教だと思っているんだけど、お地蔵さん信仰がありますね。お地蔵さんと言うのは必ず仏教でしょうか? サンスクリット語でもありますよ。「クシティ・ガルバ」というね。畑、山、道路、そういうところにちょこちょこっと、何かおいて礼をするんですね。バリ島インドネシアカンボジアにも同じようなものがありますよ。それぞれの地方で、それぞれの祀り方があります。そこに仏教が入って、一つの名前にしてしまったんですね。「お地蔵さん」と。

 

しかし、お地蔵さんのキャラは、一つじゃないんですね。それぞれの場所でキャラが変わるでしょう。観音様もそうなんですね。わたしの目から見れば、「観音様を信仰しています」といっても、それぞれの観音様が変わっているんですね。観音様から期待するご利益も変わるんですね。だからわたしはそれぞれの、別々の宗教であると思っています。商売の観音様、縁結びの観音様と、期待するご利益によって信仰する対象を変えますから、他宗教なんですよ。

 

他宗教っていうのはなかなか人間に捨てられるものじゃないんです。すごく排他的で、武力に頼る西洋の宗教でも、他宗教なんですよ、実は。その方々も知らない、どれくらい信仰があるのかと。イエズス様も信じるし、マリア様も信じるし、ミカエルも信じるし、サンタクロースも信じるんだからね(笑)。

 

ヨーロッパの宗教を調べると、いろいろと地方の聖人がいて、聖人を信仰しているんです。ロシア正教カトリック教会とずいぶん違いますね。わたしもロシア正教の教会に見学に行ったことがありますが、拝んでいる対象はいろんな聖人たちなんですね。イエズスさんにはあまり立場がないんですね。

 

だから、どう見ても他宗教なんですよ。自分の足元を見ないで、日本人が他宗教だと馬鹿にするのはいい加減にしなさい、ということです。日本人が信仰する宗教は二つですけどね、ほかの方々は数えていません、自分がどれくらい信仰しているのか。

 

そういうことだから、そこはなかなかね、人間があれやこれやとおねだりすることは、どうしようもないですね。信仰がなくてもわれわれはね、いろんなことをおねだりしますよ。親にあれ欲しい、これ欲しいというし。大人になったら、いろいろな会社に願書を出して、仕事をくれと言っているし。困ったときに誰かに頼むということは、なかなか消えないものなんですよ。

 

病気になったらいろいろとお医者さんを探すんですよ。インターネットで、この病気になったら一番いい医者はどこにいるんでしょうか、とか。日本で一番いい医者が北海道にいたら、大阪に住んでいても北海道に行きますよ。行ってその病院に入院します。

 

それも信仰と同じ働きなんですね。困っている、だからこの人に助けてもらう、と。それを無くそうというのは無理なんですね。ですから、ブッダの教えは、宗教の信仰システムではありません。

 

しかし、何か信仰するものが欲しいというのは人間の感情なんです。人間のリクエストに応じて、仏教もドンドンと信仰対象を作ったんです。そういう宗教としての仏教になってくると、仏教徒もどれくらいあるのかとわからない。わたしも知りません。たくさんあります。

 

わたしたちは、これをはっきりと二つに分けてみたほうがいいんです。宗教と言えば無数にあります。一人の人間が、自分の要求に応じてたくさんの宗教を信仰しています。本人も知らない。だって、どれくらい要求が出てくるかわからないでしょう。それはわかりませんよ、明日何が起きるかわかりませんしね。宗教はそういうふうに見たほうが気が楽ですよ。それぞれ要求に応じたものを信仰してみる、と。

 

お釈迦様の教えはそうではなくて、どう生きるべきかということを全体的に教えています。要求に応じて、困ったときにどうするべきかということを教えなくてはあかんですよ。だってそれは生きることの一部だからね。困ったときはどうしましょうか、震災が起きたときはどうしましょうか、子供が突然病気になったらどうしましょうか、と。生きることの一部ではなくて全体ですね。それについても教えています。

 

答えは簡単です。祈るなよと。祈っても何も得られませんと。答えは簡単ですけど、それが宗教批判だと思うのは、聞いている人の勘違いなんです。だからインターネットでいくら批判してもね、自分の頭が悪いと表明しているだけで、わたしは全然気にもしない。頭が悪かったら黙っていろよと。インターネットで発表する必要はないでしょう。

 

それで、今日のテーマに戻りましょう。

(次回に続きます)

 

関西定例冥想会 2012.07.15 ブッダが説く諦めとは何か

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/1766862.html より聞いて書きました。

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