ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

成長と諦め-ブッダが説く諦めとは何か(6)

なぜ生きる?-ブッダが説く諦めとは何か(5)から続きます)

次に、人生は何なのかと調べてみると、単細胞でわれわれは誕生しますね。今さら人間だと威張っても、もともとは単細胞でした。この細胞が壊れて、新たな全く新しい細胞があらわれるんです。もう前の人は死んじゃったんです。もういない。細胞二個の生命だったんです。

 

それも死んじゃって、やがて何兆にもなる細胞の塊になって、別な生命があらわれてくるんです。今も生きているということは、細胞が死んで新しい細胞が生まれることなんです。細胞の死は避けられません。新しい細胞が生まれることはどうにもならん。なのに人間は歳を取りたくないと思っているでしょう。それは頭がおかしい。

 

だって、細胞が死ぬことは避けられないでしょう? それに新しい細胞が生まれることも避けられないでしょう? それが生きていることでしょう。どうやって歳を取ることをやめられますかね? 細胞を止めたら化石になりますからね。細胞の動きが止まったら死体であって、干物なんですね、結局は。ですから、歳をとしたくない方々は、サッサと干物になったほうがいいんです。それも嫌でしょうね。

 

調べていないと、そうなってしまいます。

 

それで、生きるということはどういうことかと言うと、猛烈に変化している過程なんですね。変化することが生きることなんですね。しかし、変化することも、あれやこれやと必要になるんです。単細胞で生きているとき必要になる栄養分と、細胞二個になったとき必要な栄養分や酸素の量は同じじゃないんです。要求が変わるんです。

 

細胞が四十兆ある生命体と、おなかの中にいる生命体はずいぶん違うでしょう。おなかの中の生命体は、母親から酸素も栄養ももらっているんです。しかし、自立していますよ。母とおなじ血液が流れているわけじゃないんです。母から栄養を受けていますけど、自分の体で処理するんです。つまり、お母さんがうどんを食べていても、生まれてきた子供にはうどんが食べられないということもあるでしょう。食べたら死んじゃうとか。

 

アトピーの子供を持つお母さんたちもいるでしょう。お母さんが食べられるものでも、子供は食べられない。おかしいでしょう? 子供はおなかの中では、その栄養を取っていたのに。いいえ、取っていなかったんです。母親の体から栄養が来ますけど、そこで、自分ではそれを取っていなかったんです。自立しているんです。だから、お母さんは卵を食べますけど、卵を食べられない子供が生まれてくる場合もあります。

 

それで細胞が増えていくと、必要なもの・依存するものも、変わっていくんです。当然増えていきます。それがわかったら、諦めることは人生に必要ということがわかります。たとえば、小さい子供はいっぱいのおもちゃで遊んでいるでしょう。寝るときでも、おもちゃを握ったままで寝ているんですよ。洋服のままで寝ちゃったら、パジャマに着替えさせることはなんのことなくできます。わたしもやったことがあります。しかし、もしおもちゃを握っていたら、それだけは取ることはできません。しっかり握っているんです。それを取っちゃうと、目は覚まさなくても、すぐに探すんです。寝たまんまで。

 

そのときは、その子供には、生きるために必要な刺激を得るために、興奮するために、あのおもちゃが必要なんです。しかし二十歳になっても、同じおもちゃを握って寝るんだったら、その子はちょっと病気でしょう。

 

だから細胞が変わるために、いろいろなものを諦めていかなければならないんです。ちゃんと成長する子が、中学校くらいになってくると、おもちゃなんか見ようともしないんですよ。ただ、頭が悪い親が大事にとって置いておくんです。子供はもう、興味も何にもないのに。ときどき、そんなもので遊んだんでしょうか、とさえ、子供は思う。それは正しく成長しているときだけなんですね。

執着が成り立たない-ブッダが説く諦めとは何か(7)に続きます)

 

関西定例冥想会 2012.07.15 ブッダが説く諦めとは何か

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/1766862.html より聞いて書きました。

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