(わたしが一番いやなのは - 新年法要2016(2)から続きます)
祝福とはいろいろあるんです。
誰だって、祈祷してもらいたいと思っているでしょ。ご利益だったら、魚がエサを食うような形で食っちゃうんですね(笑)。
だから世界ではご利益教ですね、どんな宗教も。
仏教も、お坊さんたちがご利益法要ばっかりやっている。それも正しくやらない場合は、とても人気があるんです。正しいご利益の法要は、そんなに派手なものではないんです。すごく真剣で、落ち着いてやるものなんですけど。
この間、お正月は国に帰りましたが、われわれは、一月一日は全然気にしない文化です。
わたしは去年、お寺で何もやらなかったから、今年は何かやりなさいと、ふつうのお寺の法事をやりました。
隣のお寺で、神々におねだりするような法要をやっているんです。そのお寺が、わたしたちのお寺の有力な檀家に連絡して、その方々はそちらに行っていました。わたしたちのお寺には、そこに招待されない、貧しい人々が来ていた。わたしは真剣まじめに法要をやって、たくさんの人が来ていたから、腰が痛くなって……(笑)。
仏教という顔をかぶっていても、ご利益というエサを食っちゃうというのは人間のやり方なんです。
だから、魚がエサを食うような感じですよ。釣られます。動物でも、ちょっと仲良くしたければエサをあげるでしょう。他の方法はないんです、仲良くする方法は。人間でもその次元から絶対に飛びませんよというのは、何なのかと。エサを出せば食っちゃいますよと。
(なんのために? - 新年法要2016(4)に続きます)
<スマナサーラ長老-新年祝福法要@マーヤーデーヴィー精舎 2016.01.17
https://www.youtube.com/watch?v=lRWqbF9hFBs より書きました>