ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

最終回 - 新年法要2016(15)

(前回 全部お布施するなんて - 新年法要2016(14) から続きます)

「生きていきたい、ということが幻覚である」というのは覚るときの話で、皆様にはそれは幻覚ではないんですね。皆様には、生きるということは、すごく具体的な、じりじりとした事実でしょう。本当はそれは幻覚なんです。

 

存在、という一言は、成り立たない。

精密に分析してみると。細胞は四十兆あるでしょう。その一個一個が生きて生きたがっているでしょう。細胞一個を見ると大した命じゃないでしょう。でもわたしの命が大事だというのは、どんな細胞の命ですかね。成り立たないんです。いろんな部品を組み立てて、ある機能ができているだけ。

 

細胞もあほだからね、何とか自分が生きていきたいと思って頑張っているんです。

別に細胞は、ほかの細胞のことを心配しているわけじゃないんです。何か仕事をしなくちゃ栄養をもらえませんから、まじめに自分の仕事をしているんです。皆様とは違います(笑)。

 

心臓細胞が皆様のように仕事をしたら、一日で死にます。

心臓細胞は分裂しない細胞だからね。ずーっと小さいときから頑張って仕事をしている。手抜きは無いんです。休みはありません。

 

ほかにも、皮膚の細胞、いろんな臓器の細胞組織やら、一生懸命自分の仕事をしていて、それで生きている。

でも、細胞たちが生きていきたいと思うのは、あれは勘違いです。細胞は早く死ぬんだから。成り立たない。あれは壊れるんです。

 

悟りの智慧で見ると、「存在」という言葉が幻覚なんです。それで解脱は終了なんです。

 

預流果っていうのは、「わたし」というのは幻覚だと発見するんです。

 

それに合わせて、われわれは善行為するんです。

テーラワーダ仏教では、どんな善行為をしても、その力によって解脱に、涅槃に達しますようにと誓願します。たくさん金が儲かりますようにではないんです。それはやめてくださいとはっきり言われています。

 

存在欲がない人にとっては、別に困らなくても、かなり楽に生きていられます。

そういうことで、かなりしっかりと、正しい幸福の道を理解して、その道を歩んでみてください。

(おわり)

 

最初からよむ:仏教の、その安らぎって何なのか? - 新年法要2016(1)

f:id:thierrybuddhist:20160226125542j:plain 

スマナサーラ長老-新年祝福法要@マーヤーデーヴィー精舎 2016.01.17

https://www.youtube.com/watch?v=lRWqbF9hFBs より書きました>

目次8‐講演会/お釈迦様のエピソード・ほか - 瞑想してみる

(新)【全目次】説法めも