この間、父が倒れてしまいました。
父は心臓の不調を訴えて、検査のため入院していたのですが、そこへわたしたちがお見舞いに行ったら、「やあ、いらっしゃい……」と言ったまま、前へ、どーん、と。
倒れたまま、しーんとして動いていませんでした。
でも数秒後に、背中がピク、ピクと二度ほど動いて、父自ら起き上がりました。
「あ~、ビックリした」
と言いながら。
この父の発言は、あとから皆で大笑いになりました。
「ビックリしたのはこっちだよ」と。でも、そのときは当たり前ですが、笑うよりも、「あ、生き返った」とホッとしました。
その後は、看護師さんやお医者さんが入れ替わり来て、
父は頭のCTを撮ったり、足の捻挫や口の中の切り傷を調べたりと忙しくなりました。手も付かずに、ドーンと行っちゃうと、いろいろなケガが避けられないのですね。
あのまま息を吹き返さなかったら、ご臨終になっていたでしょう。
そこで、貴重なその体験を本人に聞いてみました。
あの瞬間どうだったの? と。
父曰く、
「みんなが来た、と振り返ったとたん、ふわあっとして、あれあれあれ? と倒れた。自分が何をしているのかわからなかった。白く、ただ真っ白だった」
「痛みは?」
「全然ない」
「倒れたときも?」
「まったく(痛くなかった)。でも、意識が戻ったら、あちこち痛い」
確かに、父のおでこはたんこぶというよりも大きな範囲でうっ血した痛々しい跡が残り、鼻の根元には眼鏡が刺さった傷があり、足は腫れて痛そうでした。
その「自分では何をしているのかわからない、痛みもない白い世界」から、がばっと、「あ~、ビックリした」と起き上がったわけです。
(注:父の場合は、ですよ)
今回、心臓のモニタリング最中に倒れたので、お医者さんは「証拠がつかめましたよ」と言っていました。不調の原因解明につながる良いデータが取れたそうです。それがうまく結果を出してくれればいいなと願っています。
追記:
やっぱり死について日ごろからケアすることが大事だな、と今回のことでいっそう感じました。
日ごろは、
・死随感(しずいかん=死をありのままにみること)
・箭経(せんきょう)
などちょっとずつやっていくとよいですね。
箭経(せんきょう)の解説が載っているのはこちら。
まさか「老病死に勝つ方法」があったとは―ブッダが説く心と健康の因果法則
- 作者: アルボムッレスマナサーラ,Alubomulle Sumanasara
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参考外部サイト:
仏教講義、4.死んだらどうなるか (4)死ぬ瞬間をどう生きるか (No21)
このブログ筆者がふだん考えたこと: