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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

テーラワーダでは覚りの認可制度がありますか?

質問

「ニッバーナ(涅槃)についてお伺いしたいです。

ニッバーナの証明方法、認証方法についてですが、禅宗ですと、師匠に認可というか『ニッバーナに達しましたよ』と証明を第三者からしてもらうという形式があるかと思います。

 

テーラワーダの場合は、ある人がニッバーナに達しましたというのは、どういった方法で証明をするのでしょうか。

 

インドの方でゴエンカさんが、ヴィパッサナー冥想の方法を独自のやり方で教えていらっしゃるそうです。

テーラワーダとは違うやり方を唱えられている方ですが、どちらが正しいやり方なんでしょうか」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

テーラワーダ世界では、誰かが「覚っています」とハンコを押しておかなくちゃいけないということはないんです。

そういうシステムもありません。

そういうものはすごく俗世間的です。卒業証明書をもらうという、世間に見せるための、俗世間的な考え方です。

ですから、認可を出すこと自体が正しくはないんです。

 

禅宗では、中国でやっていて、日本ではやっていないんだけど、次のボスは誰ですかと決める場合は、より精神的に優れている人がボスになるという正しい態度で、そういう認可制度になったんですね。

中国文化なんですね。ハンコを押してもらった方がいいという。

 

テーラワーダ仏教では、初期時代では、お釈迦様が認めるということがあった。

本当は認める必要はないんですよ。それは俗世間的でね。冥想したお坊さんたちが覚りに達したら、じゃあお釈迦様にあいさつに行きましょう、とそれだけ。

「修行を終えて帰ります。ありがとうございました」という一言だけなんですね。

 

お釈迦様がちょっと勝手に質問したりして、お坊さんたちはそれに答えた。

「さすが正しいです。この方々は真理に達しましたからこれに答えられましたよ」と発表するんですね。そうすると一般人も、「ああ、なるほど、あの方は覚っているんだ」と思うだけなんですね。その伝統はちょっとあったんですね。

 

「覚っているなら、わたしたちもそのお坊様方から教えてもらっても大丈夫みたい」となるんです。

 

それからお釈迦様が、新たに、革命的なことを教えられたんだから、批判は多いんですね、社会から。

宗教世界を粉々に壊すやり方をやっていたんだからね。

だから、人間と言うのは攻撃し始めるんですね。

「あんたは言っているだけでしょう。覚ってもいないでしょう」と言われたら、一般人に対して言わなくちゃいけないんですね。一般人と言うのは仏教徒でもないんですね。

「こういう人もいるんだけど」と。

 

そう言う明らかに「あなた覚ったぞ」という考えが、俗世間的な汚れた世界の考えなんですね。

で、あんまり気にしないほうがいいと思います。

 

公の認可はないんです。

それはちょっと成り立たない話です。自我がないんだったら、ない、それで終わっちゃうんだからね。

自我がない人が「わたしが覚ったと認めてください」と言ったら自我でしょう。

 

それは真理知っている人々の世界で、ある特別な言葉を交わすんです。

自我が存在しない言葉をね。そこでお互いが知っているんです。

自我がある人々にとっては、それはよくわからないんですね。

同じ言葉なんですけど、自我がない立場から現れる言葉と自我から現れる言葉というのは微妙に違うんです。

 

そういうわけで、全く知らないわけでもないんです。が、認定することはないんです。

 

中国文化であらわれたことで、中国の禅宗のお坊さんたちも大胆なことをやったわけでもないんだけど、お釈迦様もやっぱり弟子たちのことを認めたケースと言うのはすごくたくさんありますね。

お釈迦様もそれは世間的な目的でおっしゃったことなんです。

 

覚ったら覚ったで、別に認可がなくてもどうでもいいでしょう。

でもあの、全く仏教がない社会で自分の教えを広げていくために、ちょっとした宣伝的なものが微妙に必要でしたから。しかしその必要性もなくなったんです。だから、お釈迦様の権利は、いかなるときでも弟子たちは取らないんです。ですから、わたしたち一人でも、「あなたは覚っているんだぞ」という権利はない。権利ないのに認可を出したら、それはインチキでしょう。

 

テーラワーダではそういう習慣はありません。

 

中国の禅宗のお坊さんたちも、いい加減にそういうことをやったわけではないんです。

それなりに人の精神状態を調べたんです。それで認可したんです。それは禅宗の文化です、と措いておくしかありません。どちらが正しい、ということではないんですね。間違っているということは決して言えませんしね。その聖者たちがいい加減でわがままで、気に入った弟子に認可を上げたとか、それはないんです。修行させて、いろんな質問をさせて、どこまでわかっているのかと調べて、一番よくわかっている人に認可を上げた。それは真面目にやったんですよ。

 

しかしその習慣も消えましたしね。

だから、お釈迦様に認められない習慣は世の中から消えます。

テーラワーダでは初めからその習慣はなかったんです。

(続きます。次回は、マハーシ・サヤドー、アチャン・チャー、ゴエンカ師

 

<東京法話と実践会 2016.03.13

http://www.ustream.tv/recorded/84412689

01:23:00頃より書きました。>

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目次7‐経典 /仏教と日本、仏教哲学

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