ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

パーリ経典解説(梵網経1) - 第七段落

(前回 パーリ経典解説(梵網経1) - 第四~六段落 から続きます)

第七段落

‘‘Appamattakaṃ kho panetaṃ, bhikkhave, oramattakaṃ sīlamattakaṃ, yena puthujjano tathāgatassa vaṇṇaṃ vadamāno vadeyya. Katamañca taṃ, bhikkhave, appamattakaṃ oramattakaṃ sīlamattakaṃ, yena puthujjano tathāgatassa vaṇṇaṃ vadamāno vadeyya?

 

解説(スマナサーラ長老)

Appamattakaṃアッパマッタカン 少量。ささいな、ほんのちょっと。

oramattakaṃオーラマッタカン 価値的に低い。レベルが低い。

 

一般人が、つまり覚っていない人々が、ほんのわずかなことでブッダのことを褒めるんだ、と。

ブッダのことは、一般人(王様たちも含めた凡夫)がものすごく尊敬していました。

お釈迦様は、「あの人たちはほんのわずかなことで、如来をほめている」と。

褒めた対象は、いわゆる戒律ですね。生き方です。

 

一般人に見えるのは戒律のところなんですね。

戒律と言うのは生き方だから、社会で見えやすい。

でも、一般人にこころは見えていない。

 

一般人はわたしたちのどうでもいいところを褒める、とお釈迦様。

そのどうでもいいところとは何ですか、ということを説明しています。

 

・殺生から離れている

・武器を下ろしている。武器を取らない。生命を攻撃することを恥じる

・とてもやさしい。すべての生命に対して憐れみを持っている。幸福を願っている。

 

いかなる場合も武器は持たない主義。非武装主義。

 

だから人間の主義とは正反対ですね。

核兵器を作るのがカッコいいや、というのが人間の生き方でしょう。

ところがお釈迦様は、棒さえ持つなよと。杖は自分の体を支えるためだけ。

自己防御はないんです。

必要ない。いかなる生命のことも心配しているから。

 

完全な防御方法と言うのはこれなんです。

仏教が教える防衛方法とはこれです。

 

暴力的で恐ろしければ、みんなが「ヤバい」と思って避けますけど、どこかで崩れてしまうんです。

凶暴になってたくさん武器を持って、軍事力をもって威嚇することで、それと同じくらいの多さの敵を作っている。

 

これはどこまでやるのか? 

どんどんエスカレートして、大破滅になってしまうんです。その破滅する道を歩むなよと。

 

真理を発見するのはどんな人間にも簡単です。

人間の思考パターンと逆に真理があるんです。

 

ヴィパッサナー冥想でもそうですよ。

すべて人間がやりたい、やりやすいという生き方と反対をやらせている。

それですぐに真理を発見する。

 

だから殺生と言うのは生命の法則です。

殺して、殺して、進んでいるんです。殺し無しの生命の歴史はないんです。

それで、殺しが正しいということにしているんです。

 

しかし、ちょっと調べてみれば、なんで生命が生き延びて来られたかと言うと凶暴だからじゃないんです。

そこに「共存」があったからです。

 

西洋から発展した進化論ですから、「競争」が強調されて「共存」が説明されていない。だから正しく説かれていないんです。本当の進化はそうじゃないんです。

 

単細胞たちが、遺伝子を入れて入れて、組織を作るんですよ。われわれの一個の細胞の中にも、はるか昔の経験が入っています。その細胞たちが集まってグループを作るんです。それは今も微生物の間で起きています。科学者もそれを知っています。

 

単細胞の生命は、環境がちょっと悪いなというと、さっと仲間を呼び寄せてグループを作るんです。グループを作ると、ちょっと違う環境でも生き延びられる。

 

われわれも四十兆程度の細胞を持っているでしょう。骨の細胞、皮膚の細胞、心臓細胞、それぞれ働き方、形が違うでしょう。それぞれ特色を持っているんです。

 

皮膚細胞も見事に仕事をしているでしょう。

皮膚細胞と同じような仕事をしようとしたら、手術室でどれほど気をつけるのかと。細菌が入らないように。わたしたちの皮膚は、完全無菌室を作ってくれているでしょう。これってすごいことなんです。

 

皮膚に守られて中の細胞も元気でいられる。

心臓細胞は他の組織とかなり違う細胞で、その仕事をしている。

 ひとつひとつ違う生命体が、組織を作ってそれから共同体を作っている。それで生き延びているんです。

 

生き延びる理由、進化の理由はそちらにあるんです。殺し合いにないんです。

 

殺し合いの特色もありますが、メインではない。

体に穴が開いたらそこから異物が入りますが、そのとき戦うだけ。

わたしたちの体はずっと異物と戦っていますかね? もしそうなら、生まれたときからずっと高熱でしょう。

 

世界はなんで、競争・殺し合いをハイライトするのかというと、無知だからなんです。

 

進化論にあるのは、共存の原理なんです。

一個の組織であっても、共存の真理で生き延びている。社会も同じことです。協力しあわなきゃいけない。差別している場合じゃないんです。まして殺すことなんて。

 

体の免疫システムが活動するとき、それを病気と言うでしょう。ウィルスに感染したら。

 

なんで、病気の状態を求めて、そのために頑張っているんですか。

それは思考が間違っている。

 

お釈迦様は、完全に武器を手から離している。一切の生命を心配している。

それが生命法則にのっとった生き方です。

それをみんな褒めているんだと。こんなことで褒められているんだ、と。

 (第七段落終わり)

第八段落へ パーリ経典解説(梵網経1) - 第八段落

 

スマナサーラ長老による経典解説http://www.ustream.tv/recorded/84866551 (期間限定公開動画)34:00~51:00>

 

長部(ディーガニカーヤ) 戒蘊篇I (パーリ仏典 第2期1)

長部(ディーガニカーヤ) 戒蘊篇I (パーリ仏典 第2期1)

 

 <今回の\(◎o◎)/!>

・「戒律なんてどーでもいいことで褒めるなんて」とお釈迦様。

・進化の理由は競争じゃない、共存だ。

・真理は常に人間の思考パターンとは真逆にある。

・「アッパマッタカン・オーラマッタカン」は語呂がいいので普段も使えそう、と個人的に思いました。