第八段落
(略)
‘‘‘Abrahmacariyaṃ pahāya brahmacārī samaṇo gotamo ārācārī [anācārī (ka.)] virato [paṭivirato (katthaci)] methunā gāmadhammā’ti – iti vā hi, bhikkhave, puthujjano tathāgatassa vaṇṇaṃ vadamāno vadeyya.
解説(スマナサーラ長老)
「与えられていないものは取らない」、これも生命法則なんです。
やった仕事に対して与えられる。
取るというのは破壊の道です。
与えられたもので生きると、安穏で危険もなく穏やかに生きていられます。
進化の流れの真実です。
奪ったものでは、やられます。
今の命のなかでも奪う命もあるでしょう。奪う命のものは、すぐにつぶされます。
ウィルスが体に入ると、体の細胞を奪うんです。細胞たちがこれはおっかないと、悲鳴を上げると、T細胞たちが駆けつけてきてウィルスを殺して防御システムを作る。いわゆる、体の中に武器を作るんですね。
Abrahmacariyaṃ 淫欲のある行為
(出家に対して)お釈迦様は性行為は全然認めないですから、お釈迦様の生命法則から言うと、これはおかしいみたいですね。
なんで二人組んで新たな生命を作るのかと。昔の生命は性別はなかった、と。その当時の生命は、ただ現れるんだと。
お釈迦様は、性行為をすることを当時(昔)の生命に認められなかった(見られなかった)と。
今の人間のこころのなかにも、そこがちょっとあるんだと。だからみんな隠れてやっている、みんなにばれないように、と。自然の事だったら隠す必要がないんですね。
だからお釈迦様の考えでは、そこはちょっと法則に合っていない行為だからなんです。
執着のなかで、一番低次元は性欲だからね。
低次元の執着を持ったままで、高次元の執着を捨てられないでしょう。だから執着を捨てる順番で、第一になってくるのは、性行為をやめなさい、なんです。
そこで性行為をやめて生活する。それが梵行を守っている人々、ブラフマの生き方を守っている人々、ということになります。
(第八段落終わり)
<スマナサーラ長老による経典解説http://www.ustream.tv/recorded/84866551 (期間限定公開動画)51:00~01:00:00より、覚え書きとしてメモしました>
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<えっ\(◎o◎)/?!>
「お釈迦様の生命法則から言うと、これはおかしいみたいですね」……そうなんだ。
確かに、生命の誕生に必要不可欠なのに、本音と建前の差があり過ぎな不可解な行いですね、言われてみれば。
生命が「ただ現れた」ら、どんなにいいか(?!)
世の中の事件・犯罪・トラブルが相当減るでしょう。
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