前回 なぜ出家は一日一食か?- パーリ経典解説(梵網経1) 第十段落
それでね、一般人が残酷な生き方をしているわりに、またふざけて喜んでいるんですね。
花を付けたりお化粧したり、踊ったり、歌ったり、音楽を聴いたり演奏したり、そういう俗世間でやっていることはお釈迦様はやっていない。
それに、体に塗るもの(化粧、クリーム、香水など)は使わないんですね。
豪華な家具も使わないんですね。
そこで裏に何があるのかみてください。
存在欲でしょう。
気持ちよく生きる為に。
いつでも存在欲を支えるために、プラスアルファのことをしているんですね。
食べることの裏でも残酷なことが起きているのに、それ以上、あらゆる方面で存在欲を高めているんですね。
仏教の基本は、存在欲が、つまり渇愛がある限り輪廻転生するんだと。
だから生命たるものの目的にあるものは解脱することだと。
生きることは「苦」ですから。
生きることを支えるものと言うのは、自動的に認めるわけにはいきません。
今日を生きていければいい。
よく日本で言う、「将来のため」「老後のため」は、いらんや、そんなものはと。
この経典では、存在欲と無執着のことは出て来ない。
延々と長い経典なんだけど。それは裏を読めなんです。
なかなか、現代ではお坊さんでも、この経典の裏を読むことは難しいんです。
(第十段落つづく 理想的な生き方は出家だけ - パーリ経典解説(梵網経1) 第十段落 )
<スマナサーラ長老による経典解説http://www.ustream.tv/recorded/84866551 (期間限定公開動画)01:20:00~ 書き留めました>
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