質問
「栄養についてお伺いします。
聖者になった方々は、栄養に対してどうアプローチしていますか?」
回答(スマナサーラ長老)
この「栄養」とはこのタイトルだけで授業をしなくちゃいけないくらいのものですけど、ポイントだけ言います。
栄養は二種類あります。
物質の栄養と精神の栄養。
こころが回転するためにエネルギーが必要なんですね。こころが体に依存しているんだから、体を維持するためにも栄養が栄養が必要なんですね。
物体には物質を上げる、こころには別の栄養を上げる。
そこで、食べるものを間違えたら体が壊れるでしょう。こころに与える刺激を間違えたら、こころが間違って回転する。
体にもこころにも、栄養を上げるということは、生きる為なんですね。
存在欲がなければ、そんなに、やらなくちゃと言う必要な仕事にはなりません。だから皆様が朝から晩までやっていることは、体とこころを養うだけなんですよ。他は何もやっていない。ヴィパッサナー冥想以外では。
すべて、体とこころを支えているんです。
テレビを見る、本を読む。こころに刺激を与えて生かしてあげているんです。お化粧したりおしゃれすることは、体にとってはそんなに大したことじゃないんだけど、こころに栄養を上げているんです。気分、というでしょう。
気分もこころの栄養なんです。
覚った人は、阿羅漢になったらね、存在欲はない。
しかし肉体は物質だから、そのシステムで壊れるまで、面倒見なくちゃいけない。
こころは穏やかだから、安穏だから、それで十分です。
体が壊れるとそれから栄養を全く取らなくなる。存在とは言えません。
それが(阿羅漢の場合は)涅槃という言葉になる。
栄養を取っている場合は、壊れていく肉体を修復しなくちゃいけないから。
その言葉で、われわれもご飯を食べると、自動的に量を考えるんですね。壊れていく体に、どれくらい物質を入れたらいいかというと、この程度でしょう、とわかるんですね。
「ほしい」と「必要」という言葉で考えることもできます。
「ほしい」という場合は存在欲でほしくなる。
必要と言う場合は、欲がなくても必要になっているだけ。
存在欲がなくても、体をメンテナンスしなくてはいけないんだから、そのための「必要」ですね。
それで完全に無執着な状態でいます。聖者は。
それ以上詳しく話すと長くなりますからね。
あなたが聞きたいと思ったポイントに絞って質問すれば、それに答えられます。
(次回 人間界の栄養とは に続きます)
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