ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

初期仏教講演会 立ち止まらず、もう一歩前へ~勇気を出して概念を手放せ~ 2016年4月9日(土)

スマナサーラ長老による初期仏教講演会「立ち止まらず、もう一歩前へ~勇気を出して概念を手放せ~」が 4月9日(土)に日暮里サニーホールで開催されました。

期間限定公開中の動画です。視聴はお早めに→http://www.ustream.tv/recorded/85440127

講演会のポイント内容は、twilogで読むことができます→

http://twilog.org/jtba_talk/date-160409/asc

 

さて、講演内容で気になったところをまとめてみました。

 

『執着にもランクがあった!!』

第一位 自分の命

第二位 自分の概念

第三位 財産・家族

第四位 政治・社会・生き方

 

今回の講演では輝く第二位「自分の概念」について詳しく教わりました。

色受想行識(しきじゅそうぎょうしき)*1 の「想」にあたります。

 

状況も何もかも変わる(無常)なのに、それに逆らって自分の考えに固執するからあらゆるトラブルが起こるんですよ、とスマナサーラ長老。

 

それでは何とか改善できないの?とおもいますね。

トラブル、失敗を避けるべく「変わらないガイドライン」「常に参考にできる固定した概念」があったほうがいいんじゃないですか? と聞かれれば……

 

そうだよねぇ、そういうの欲しいよねぇ!と思いますが。

 

というのは、「ダメ」だそうです。

 

(えっそうなの??(・・?))

 

理由は、

  • 無常の現象をここでもまた無視している
  • 再び固定した概念を作ってしまう
  • 今までも失敗とわかったが、解決するためにさらに同じ過ちを犯し続けるという自己破壊の流れになる

 

だからやっぱり、

『無常を発見しよう!!』

そこがポイントだそうです。

 

「真夏の太陽のように明らかな」無常をなぜ発見しないのか?

答えは、怠け者で保守主義だからだそうです。

 

生きることは大変だから、怠けたいという気持ちが起きるのは自然です、と。

つまり、生命は基本的に放逸で保守主義なんだよ、とのこと。

 

(あ、自然なことなんだ。ε-(´∀`*)ホッ)

 

“『だからって、“これでいい” とは思うなかれ!!』

これでいい、を人生全体に適用すると、生きることは退化になる。”

 

(はいぃぃーーすみませんでしたΣ(゚∀゚ノ)ノ

確かに「このままでいい」とすべてに免罪符を与えてしまうと、なんか貪瞋痴がよけい忍びこんでくるのを感じる。安心感は与えられるけれど。)

 

ここまで、前半です。これから後半へ。

 

『不幸の原因を取り除く』

原因はズバリ、「執着」です。

 

「無執着・放すこと」それが、ブッダの説かれる幸福の道。

「無」執着であって、「ある程度の執着ならオッケー⤴」ではないんですよ。

 

(◎_◎|||;タラーリ)

 

『見解(ditthi ディッティ)ではなく智慧です』*2

見解は正しいと実証できないもの。だから異論が起こる。

「地球は丸い」は見解ではない。反論は成り立たない。

 

智慧は、見解を、捨てて捨てて、捨てて捨てていく。

知識のようにプラスアルファしていくものではない。

智慧が現れるときは、生ごみを捨てたような開放感がある。

 

(生ごみを捨てたような開放感ですか!(ノ・ω・)ノオオオォォォ-~)

 

講演の最後に、梯子のたとえと、筏のたとえを……

 

「梯子の横木をいつまでも握っていないで離して、上の横木を掴んでください。

梯子は横木を手放しながらドンドン上へ上へ登るものです」

 

「仏法=筏。川を渡り切ったら筏さえ、必要ないもの。捨てるものです」

 

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今回の講演会はある個人の方がお布施さなったそうです。

「法施はあらゆる布施に勝る」とはお釈迦様の言葉ですが、わたしも随喜して回向いたします。

 

 

 

次回の月例講演会は…5月15日(日)詳細 【東京】釈尊祝祭日『ウェーサーカ祭』(スマナサーラ長老)

 

目次8‐講演会/お釈迦様のエピソード・ほか - 瞑想してみる