ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

無明とバカの違い

質問

「バカだから生まれてきたのだと、ご著書にありましたが、生まれてこないほうが良かったということですか? もう生まれてきちゃったんですけど(笑)。

 

もしすべての生命が覚ることができたら、この地球は水と緑の、植物だけの星になるんですか?」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

無明とは、ナノ単位で物事が変化しているんだってことを経験していないことなんです。

だから前提として、誰でも無明、無知なんです。

それはおまえバカやという話と違うんです。

 

「あんたバカや」というのは、わたしとあなたを比較して勝手に言っていることでしょ? すると第三者が、今度は自分を指して「おまえもバカや」というんだから、意味がない、そんなことは。

すべて違います。

 

たとえば、すべての物質は最終的には素粒子で、ただの波長、波動で、物ではありませんね。しかし、わかっているんですか、われわれは。

わたしの前にはマイクがあるんだけどね、ちゃんとした金属でできたがっしりとしている。これが波動だ、波長だ、と言ってもわかならないでしょう?

 

だから、それは科学者が長年研究してもわからなくて、データを取ってそこから計測してすべて素粒子の世界をわかっている……か、わかりませんね。まだわかっていない物質もあるでしょう。ダーク・マターという。七、八割その物質だから。

 

だから、調べてない。

仏教はこころを知ることができるんだから、こころを開発すれば、物質は瞬間瞬間、生滅していく地水火風であるということがわかりますよ。こころはそれに反応して変化していくものだと。

 

だから、AがあるとBが生まれる。BがあるとCが生まれるんであって、Aは終わりなんです、もう。Aが死んじゃってBが生まれて、Bが死んじゃってCが生まれるんであって、その流れにこころと呼んでいるんであって、同じこころがグルグルグルグル回っているわけじゃないんです。

 

われわれは無明だから、変化すると言ったっても、ビー玉が流れるように転がっていくと思っているんですね。

ビー玉が転がって別のところに行く、それじゃないんです。

 

Aが死んじゃってBが生まれて、Bが死んじゃってCが生まれて、Cが死んじゃってDが生まれる、ということで。

これでコネクションになるんです。

DはCがなければ生まれません。CはBがなければ生まれません。ただそれだけの関係なんですね。

 

それはこころの中で、観察するとわかりますよと。そうやってわかった人の無明が破れていくんですね。

だから、基本的に一切の生命は無明です。

 

無明っていうのは「あんたバカ」という話じゃないんですね。

真理を発見してない。当たり前ですよ。だれも、そんなことに興味がないんだからね。真理を発見することに。

 

目の前のことで精一杯でしょう。

真理を発見する気持ちがない、意欲が生まれない理由も、お釈迦様の言う「生きることで精いっぱいだ、みんな」。

 

どうやってご飯を食べようか、収入はどうしようかとかね。こういうただ肉体を維持することで精いっぱいで、なんの安らぎも、なんの余裕も、研究するどころじゃないんです。

 

それは、悲しい、この状況は。

だからちょっと頑張って、真理を発見しましょうよ。

ということを教えているんですけどね。

 

無明だから輪廻転生はずーっと続くんですよ。それだけです。

 

そんなのは、もう別に、無常の流れだ、という人にとっては「わたしがいるんだ」という実感が消えてしまいます。それだけの話なんです。

 

わたしがいるっていう実感はあるでしょう? 

ちょっとイメージで遊んでみてください。「わたし」という気持ちがきれいさっぱり消えたらどう? わかんなくなっちゃうでしょう?

悩みがある? 明日どうしようかと。わたしの肉体どうなるのかと。

そんなの全然ない、「わたし」という実感がないんだからね。

 

それは言葉にならない、お釈迦様がおっしゃった、超越した境地なんですね。

だから、その世界で「覚ったら地球は植物だけになるのか」とか、質問さえ成り立たないんです。

(続きます

みんなが覚ったらこの地球はどうなる?

 

(関西月例冥想会 2016.3.27)

バカの理由(わけ) (役立つ初期仏教法話12)

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