悲しいときでも歌ってごまかすんです。
悲しみはプラス栄養にならないんです。
それは逆栄養になるんだから、命の生命力が奪われる。マイナス栄養になるんです。
だから悲しみは何とかしてごまかす。
たとえば日本で人が死んだら、ものすごくえらい人になっちゃうんでしょ。
あの葬儀の堂々たる姿とか。かなり大騒ぎする祭りにしているんですね。本当は死んじゃったやつはどうでもいい、なんですよ。
親が死んじゃって自分が落ち込んじゃうと、マイナスエネルギーという栄養になるんだから、「お母さんは本当にいい人で、みんなと頑張って仲良くして、もう天国にいるんだ」ということで、自分のネガティブ栄養を抑えるんです。
それで葬式を終わったら豪華な弁当を配ったりして……わたしはわからない、結婚式と葬式は何が違うのか。わたしには本当にバカバカしくてね。どちらでもお祝いする場合じゃないでしょう。結婚式だって、結婚後はひどい目にあうんだから。
人間にとっては、結婚式は派手に素直に喜ぶんですね。
葬式の場合は、偽善的に、詐欺的なやり方をやって喜んでいる。
悲しみ、落ち込みっていうのはネガティブ栄養剤で、喜びはポジティブ栄養剤です。
これが、みんな分かっていますか、食べるものよりも必要なんです。細胞を維持するために。
バカ(無明)だから、科学者ではないんだから、これはこれに、と客観的に発見しない。前に金縛りの質問をした方も、なんか体が動かないだけだと理解すればいいのに、別な解説をしたがるんですね。人間は、研究することはしないんですね。
それで人間がどうすれば楽しくなる? と課題が出たでしょう。
これも自然の流れでしょう。ただ、答えがわかっていないだけ。楽しみがポジティブ栄養であるということはわかっていない。実感しているのに。体感しているのに。楽しみで、明るさで生きているのに。
「こんな気持ではご飯を食べてもおいしくない」と言うことがない?
「今日は食べる気にならない、こんなことがあっては」と言うでしょう。食べる気にならない、悲しいことがあった後では。
何かすごくショックを受けたところで、食べないんですよ。特に女性の方々は。
でも、それで栄養失調にもならないんです。
毎日そんなことをやっているのに、どうやって命がなりたっているのかと研究だけは嫌なんです。もうちょっとしたら答えでしょうに。
どうすれば楽しいのかと、課題が自然に出ちゃったんです。
楽しみを追っていく。それと仏教がいう「苦しみをなくすために追及していくこと」はちょっと違う。
仏教は生きることは苦だから、「存在欲で生き続けること」、そこを追っていくんです。
(続きます。食事で気をつけること(3)楽しみを追及し過ぎて - 瞑想してみる)
(スマナサーラ長老 関西月例冥想会 2016.3.27)