ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

食事で気をつけること(3)楽しみを追及し過ぎて

前回

食事で気をつけること(2)本当の栄養剤

 

でも、それともう一つ道があって、生きる為にどうすればいいかと。

それは楽しみということで、人間の肉体があるときだけなんですね。

 

それで、昔の原始時代にね、

獲物を捕って来ても、食べるだけでは楽しくないんです。

家族でジャンガラジャンガラ踊るんですね、獲物の周りで。楽しいんです。あれが栄養になるんです。みんなに肉をちょびちょびっと分けて、焼いて食べて、それからまた踊るんです。

 

蛇はカエルを見たらパクッと食べて終わり。踊りません。蛇もちょっと踊ったほうがいいんじゃないかと思いますけど、踊りません(笑)。

畜生の場合は、そうなんです。

敢えて楽しみはいりません。

人間が飼うと、動物もそこがちょっと変わります。

 

そういうことで、食べるときはどうすれば楽しいのかと言うところで、崩れて、崩れて、崩れちゃったんです、食べ方が。

キリがなく崩れちゃったんです。

 

寒いなら何か着ればいいのに、それだけでは楽しくないでしょう。

着て温かくなっても楽しくない。それでどこまで崩れちゃったんでしょうね。

 

なんのために、首に手に、あの金属をつけているんですかね? 

足に鼻に、ときどきベロにもつけているんです。なんで? 楽しいからでしょう。

 

そうやってあらゆる方面で、楽しみを、研究して作るんです。

昔、ただ何か声を出しただけの歌で、体を動かしただけの踊りでしたけど、今は歌はどういうもの? 踊りは?

ものすごく発展しているでしょう? 踊りもすごく発展して怖いものになっているんです。

 

だから、楽しみを探して探して、エスカレートするんですね。

エスカレートした理由が、大した楽しみがなかったからなんです。「もっといいものない?」ということです。

ということは、今あるものも大したことはない。

 

すごいシンプルな理論なんです。

白いご飯だけを一口二口は食べるんだけど、「もっとなんかない?」ということになるんです。ご飯だけでは。「あんたお腹が空いているなら食べなさい」と言われても、白いご飯だけではなんとなく。最低、塩でも欲しいんです。塩って体に毒なんですよ。でも、口で「おいしい」と感じる。

 

塩をかけてまた二口食べて、「それでもまだお腹が空いているし、何かないかな」とまた言うんです。

ということは、その法則なんです。見つけた楽しみが、大したことがない。

これがいくらでもエスカレートする。ご飯がおにぎりになっちゃうし、これに海苔も巻いちゃうし、中に何か入れちゃうし、そうではなくてカレーライスにしよう、お寿司にしよう、いろいろ。

何にしても、明日は違うものを食べよう、ということで終わっちゃう。

 

そういうことで、人間の楽しみ探しが、リミットなくエスカレートして暴走しちゃったんですね。

だから人間は忘れちゃったんです。なんのために食べるのかいと。

(次回 食事で気をつけること(4)ガソリンとして

 

(関西月例冥想会 2016.3.27)

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