前回
でも、それともう一つ道があって、生きる為にどうすればいいかと。
それは楽しみということで、人間の肉体があるときだけなんですね。
それで、昔の原始時代にね、
獲物を捕って来ても、食べるだけでは楽しくないんです。
家族でジャンガラジャンガラ踊るんですね、獲物の周りで。楽しいんです。あれが栄養になるんです。みんなに肉をちょびちょびっと分けて、焼いて食べて、それからまた踊るんです。
蛇はカエルを見たらパクッと食べて終わり。踊りません。蛇もちょっと踊ったほうがいいんじゃないかと思いますけど、踊りません(笑)。
畜生の場合は、そうなんです。
敢えて楽しみはいりません。
人間が飼うと、動物もそこがちょっと変わります。
そういうことで、食べるときはどうすれば楽しいのかと言うところで、崩れて、崩れて、崩れちゃったんです、食べ方が。
キリがなく崩れちゃったんです。
寒いなら何か着ればいいのに、それだけでは楽しくないでしょう。
着て温かくなっても楽しくない。それでどこまで崩れちゃったんでしょうね。
なんのために、首に手に、あの金属をつけているんですかね?
足に鼻に、ときどきベロにもつけているんです。なんで? 楽しいからでしょう。
そうやってあらゆる方面で、楽しみを、研究して作るんです。
昔、ただ何か声を出しただけの歌で、体を動かしただけの踊りでしたけど、今は歌はどういうもの? 踊りは?
ものすごく発展しているでしょう? 踊りもすごく発展して怖いものになっているんです。
だから、楽しみを探して探して、エスカレートするんですね。
エスカレートした理由が、大した楽しみがなかったからなんです。「もっといいものない?」ということです。
ということは、今あるものも大したことはない。
すごいシンプルな理論なんです。
白いご飯だけを一口二口は食べるんだけど、「もっとなんかない?」ということになるんです。ご飯だけでは。「あんたお腹が空いているなら食べなさい」と言われても、白いご飯だけではなんとなく。最低、塩でも欲しいんです。塩って体に毒なんですよ。でも、口で「おいしい」と感じる。
塩をかけてまた二口食べて、「それでもまだお腹が空いているし、何かないかな」とまた言うんです。
ということは、その法則なんです。見つけた楽しみが、大したことがない。
これがいくらでもエスカレートする。ご飯がおにぎりになっちゃうし、これに海苔も巻いちゃうし、中に何か入れちゃうし、そうではなくてカレーライスにしよう、お寿司にしよう、いろいろ。
何にしても、明日は違うものを食べよう、ということで終わっちゃう。
そういうことで、人間の楽しみ探しが、リミットなくエスカレートして暴走しちゃったんですね。
だから人間は忘れちゃったんです。なんのために食べるのかいと。
(次回 食事で気をつけること(4)ガソリンとして)
(関西月例冥想会 2016.3.27)