前回
できれば、めんどくさがって食ってみてください。
面倒くさいし、手が汚れるわ、皿を洗わなくちゃいけないわ、食べて口の中に入ったものをみると気持ち悪くなるわ、こんなことをよくやるわと。でも仕方がないんだから、とにかくちょこちょこと必要な分だけ食べて、サッサと片づけましょうと、そういう気分で食べたほうがいいんです。
楽しみは、それからが本当の楽しみ。
自分が獣のように生きていないんです。
食べるものにしても道徳を持っているんです。品格を持っているんです。いわゆる、仏教的にはいわゆるエリート的な見方で見ているんです。これが相当楽しみなんです。
派手な楽しみよりは、落ち着いた楽しみなんです。
それで体調がいいでしょう。もう楽しい。
食事コントロールできなくて、体がクタクタ壊れちゃっているケースを見ると、楽しみというか、「ああ、なるほど、落ち着いているんだからわたしは一応幸せだ」と。相手を憎むわけではないよ。たとえば「あんなに食って、牛みたいな体でザマーミロ」というのではないんだからね。
そうじゃなくて、食べるものを制御していることが幸せだ、と感じる。
そうすると楽しみがドンドンと生まれてくるんです。前よりも派手な楽しみが生まれてくるんです。
音楽を聴いて狂ったような感じで体をグニャグニャしなくちゃ楽しみが生まれない、というのではなくなっちゃうんです。
在家の方々には一日一食と決めることは不可能でしょう?
この世界だから。食い物にいっぱいプラスアルファを入れているんだから。
時間もを決められませんし、だったら一日に食事をとるのは体を維持するため、という目的にしてください。維持する量というのは体格によって量が違う。性別によって量が違う。年齢によってそれぞれ量が違う。それから一日どれくらいの仕事をするかによっても変わりますね。
それは数字で決めることはできません。
そんな馬鹿なことをやる人もいますからね。ブッダはやりません。仏教では各人に決まった量がありますから、それは自分自身に聞けば教えてくれるんです。「わたしはこれくらいだ」と。
(続きます
(関西月例冥想会 2016.3.27
https://www.youtube.com/watch?v=Zlx4AdLAc54(期間限定公開動画)より聞いて書きました。)