ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

幸福への道 - 捨てるということ(4)

前回

ほうそく - 捨てるということ(3)

 

法則という言葉はどうにもならないことです。

われわれにとっては、法則の中でどう管理するのかと言うことなんです。法則を変えますということは不可能です。

 

たとえば、50ミリリットルの水が入るグラスがある。グラスの中の容積は50ミリリットルです。その上限量を変えられますか? それも小さな法則なんですね。

誰かが法則を変えて、100ミリリットルの水を入れることができますか? どうやってもできません。

 

そういうふうに世の中で法則ばっかりです。

「すべて法則だよ」ということは因果法則と言うんです。

 グラスにどのくらい水が入るのかということは、大した因果法則ではない。

 

しかしその裏にまた、因果法則というのが働いている。

グラスは因果法則によって成り立っているんです。グラスの容量は因果法則です。別の入れ物も因果法則によって成り立っている。その入れ物に入れた水を、このグラスに入れる場合も、因果法則によって入れなくてはいけない。あらゆる条件を飲まなくてはいけない。その条件を飲んだならば、手を伸ばして計量カップを取ることができる。条件を飲んでいるんだからそれを運ぶことができる。そういう法則は変えられない。

 

そこで変えられないんだから、何もしないでいなさい、というのではない。

法則を理解した人が、より幸福を目指して進むんです。法則を分からない人は何もできないんです。だから、法則を発見する、理解する、納得する。法則に逆らえない。だからと言って、法則を使用しないわけでないんです。

 

その中のとても大事な法則、命に対して大事な法則は、捨てる法則なんです。

幸福になる道、を一言でまとめると、「捨てる」。

捨てる=法則への道、です。

 

人の無智、無明、感情で法則を変えることはできません。

宗教を作っている人々は自分のわがままで、欲で、「我が世界一」「わたしが神だ・仏だ」と言って脳に腫瘍ができた病気(そういう脳の病気がありますね)の人の場合、勝手に法則を変えようとしますが、できるものではないんです。

 

憶えておいてください。

捨てる=幸福への道。

(続きます

捨てて進む - 捨てるということ(5) )

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