ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

両立はない - 捨てるということ(6)

前回

捨てて進む - 捨てるということ(5)

 

真理はそういうことです。

仏教では絶対的な神というバケモノ、物の怪を人間の妄想で作るんじゃなくて、本当に絶対的なことを教えたんです。

 

なんで人間が物の怪を作ったんですかね、神という。

捨てるということが法則であると分からなかったからです。自分では何もできんだから、物の怪を作って、そちらではなんでもできることにした。

 

神は全知全能だといっても、あなたには何の関係もないでしょう。

放っておきなさい、そういうものは。たとえその物の怪がいたとしても、関係ないんです。自分自身がその全知全能になるわけじゃない。

 

捨てて得ることをやりたくないから、迷信、占い、信仰、非科学的な、非現実的な、非論理的な、非理性的なものばかりが溢れているんです。

だからと言って法則は変わっていないんです。

 

迷信に凝り固まった人が、ものすごいものを捨てているんです。自分の生きる自由さえも捨てています。自分から喜んで檻に入って、それからカギを力いっぱい投げ捨てているんです。

 

だから迷信に固まる人、神を信仰する人であっても、捨てることから逃げられません。何かを捨てて何かを捕まえている。真理を捨てて迷信を得る。両方を両立できません。

 

たとえば、生命は絶対的神に創造された、という迷信と一緒に、ついでに解脱に達します、というのは成り立ちません。

なぜなら、絶対的神様に生命が作られたならば、解脱っていうことはありえないんです。絶対的なものから脱出できませんから。

 

捨てて、得る。捨てて、得る。

それだけシンプルに憶えてください。

 

新しいノートも、そのまま置いておけばきれいだけれど、文字を書くと新しさは損なわれる。しかし、書いて文字を残しておくことができた。

 

ポストイットも、一枚剥がして使えば一枚なくなるけれど、メモしたものを得たんです。

 

法則から逃げられますかね? 

ポストイットをそのまま保管しておくことと、メモを書いて貼っておくことの両方は成り立たないんです。

 

外国旅行もしたいけど、金も使いたくない、という両方は成り立ちませんね。

(続きます

価値あるものを得る - 捨てるということ(7・最終回))

Amorn Gallery Thailand Art Buddha Picture 象 ビンテージ クラシック ポストカード

参考記事:

thierrybuddhist.hatenablog.com