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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

戒律は解脱後も必要か

質問

「仏教の戒律は、解脱した後も必要ですか?」

 

 

回答(スマナサーラ長老)

 

戒律と言うのは、感情を制御することなんですね。感情でやるのではなく、理性でやります、というだけの話ですよ。

 

世の中では戒律についていろいろな人が、間違って間違って、間違いだらけのことを書いている状態ですからね、いろいろな誤解があります。

 

戒律っていうのはやっぱり、自己制御で、自己管理で、生きることは捨てている世界です。それで理性でやると。酒を飲まない、ということはやはり捨てているんですね。それで得るものがあるんです。

 

酒を飲む場合は、理性を捨てて無知を得ている。

酒を飲む人も飲まない人も、何かを捨てて何かを得ているんです。そこで価値あるものを捨てて、マイナス価値のものを得るか、ポジティブ価値のものを得るかというだけでしょう。

 

酒を飲んだら健康は壊れるし、脳細胞は壊れるし、理性は壊れるし、頭も悪くなる。しかし、瞬間的な喜びはある。

 

戒律はすべて、感情を制御するものなんです。よこしまな行為をしないという戒律で性欲を制御する。盗まないという戒律で欲を制御する。

そこで、制御する感情がある限り戒律で自分を戒めなくてはいけない。では、制御する感情がなくなるなら? 欲がなくなった人にとっては、ものを盗むということはありえないでしょう。嘘を言って人をだますことはありえないでしょう。

 

そういうことで、感情が消えて完全たる理性と智慧が現れたら、戒律は消えます。消えるという言葉はおかしいんです。その人は殺生しない。ただ、殺生する意欲がなくなっている。戒律と言うのは殺生する意欲がある。しかし、殺生しない。それが戒律です。

 

盗みたい、与えられていないものを盗りたいが、やらない。

嘘つきたい気持ちがあるがつかない。

怒ってどなりたい気持ちがあるのに、怒ってどならない。

そこは戒律です。

 

怒りがなかったら? その人は怒鳴る? 怒鳴らない。

 

戒律が終了する、卒業したっていうことは、また間違いを犯すということじゃないんです。小学校を卒業した人が、卒業してから掛け算を忘れる? 

 

完全無欠の戒律というのは覚りに達した人です。だから戒律と言う必要もないんです。

 

日本にある考え方のように、覚ったら何してもいいんだというというのは、邪見の、恐ろしい考え方です。

(東京法話と実践会 2016.04.24

http://twilog.org/jtba_talk/date-160424/asc

 

アチャン・チャー法話集―第一巻 戒律―

アチャン・チャー法話集―第一巻 戒律―

 

 関連エントリ:

thierrybuddhist.hatenablog.com

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