ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

信(1) - 修行者が育てるべき「有学の五力」

スマナサーラ長老・関西月例冥想会 2016.4.30

https://www.youtube.com/watch?v=MEfigejxCSM(期間限定公開動画)

 

仏教では「有学者(うがくしゃ)」というのは修行する人、学ぶ人という意味で、他の宗教と違って、仏教と言うのは人格を向上するための学校みたいなところなんですね。

学校と言っても、ただ頭でっかちで学ぶだけじゃなくて実践もありますね。科学系の学校みたいなかんじで、ただ理論だけじゃなくて実践もしなくちゃいけない。

 

で、有学というのは「学問有り」というのことで、「無学」というのは覚りに達した、卒業したことをいいます。

もう学ぶことは無いんだと。

ふつうの人々は、ブッダの教えを真理を学んで理解して、実践して、修行を完了しなくちゃいけないんです。

 

それで、有学者になりたいというのはそう簡単でもない。

有学者の力が五つあって、その中の第一番目だけ説明します。

 

「信」というんですね。

信仰の信ですね。日本語にすれば信じることなんですね。

 

それは一番最初の力として必要であると。

 

そこで、信じることだと言ったとたん、意味が違うんですね。

そう言う迷信的な、感情的な、信仰的なものは仏教ではないんです。仏教は、精密に科学的に、お釈迦様がこころの完成を教えているんです。微妙に。

 

人間には理解不可能。

難しい。次元を超えた知識があるんだけど、迷信的なことではないんです。人間にわからないというのは、それは別の話で。

 

幼稚園生には相対性理論はわからないでしょう。だからと言ってそれが変だということではない。子供にわからないから、そんな理論はありえないわけではない。成長すればわかる話でね。

 

そういうわけで、われわれが経典を読んでみたっても、わからないところは結構あります。それは構いません。

 

しかし、わたしたちにわからなくても、精密な科学的な教えなんです。それだけは、なんていいますか、そういうふうにみなくてはいけないんですね。

 

そこで「信」というのは、一般的な日本語にある「信じること」ではないんです。

これはこころの一つの科学的な、心理学的にみると、こころの一つのエネルギーなんですね。

(続きます

信(2)- 信がなければインスタント食品さえ食べられない

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参考外部サイト:

巻頭法話(171) 不退転の仏道

(カーマダよ、と世尊は宣えり)
「なし難きをも彼等はなせり。有学にして戒に依りて寂静に、また確立し、家を出でたる人に、安楽をもたらす知足あり」と。

(略)

これは相応部有偈品第二の六「カーマダ経」(S 2 - 6)という経典です。ある比丘が、昔まじめに修行をしてみたものの、自分の努力が足らなくて、また煩悩の壁も厚過ぎて、死ぬ前に悟りに達することはできませんでした。死後、彼は天界に生まれました。……