ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

禅宗のお坊さんは、別宗派のお坊さんという感じが全然しないんですね(スマナサーラ長老)- 関西ウェーサーカ祭2016(1)

< スマナサーラ長老・ウェーサーカ祭 午後法話 mayadevi 2016.4.29

https://www.youtube.com/watch?v=vYomM7Q2ROY&feature=youtu.be(期間限定公開動画)を聞いて書きました。>

 

ご存知の通りに、今日は釈迦尊生誕の祝祭日ですね。

いつでもわたしは繰り返し同じことを言うんですけど、日本では花まつりと成道会(じょうどうえ)と涅槃会(ねはんえ)の三回に分けてやるんですね。花まつりは一般的なお祭りになっています。宗派は関係ないんですね。成道会と涅槃会は、禅宗のお坊さんが真剣に修行するんです。他の宗派でやっているかどうかはわかりません。

 

禅宗は一応大乗仏教の中に現れているんだけど、テーラワーダ仏教に似ているんですね。

違いは、ただ服とかそんなもんですよ。お経はほとんど同じもので、わたしが卒業した駒澤大学でも、「われわれは曹洞宗の専門的な学校だ」と言っている割には、パーリ語聖典を勉強しているんです。一般人向けのオープンな座禅会が定期的にあります。そこでみんな坐禅を組んでから、ディスカッションがあります。そこで中村元先生が翻訳したパーリ経典を読んで、お互いに話し合ったりするんだから、どちらが曹洞宗でどちらがテーラワーダ仏教かよくわからないんですね。

 

宗派仏教になってくると、「われわれはあなた方より違う」と言うために、いろいろなものを出すんだけど、結局は下らない理由ばっかりで中身は大したことがないんですね。

 

禅宗のお坊さんたちが、中国でも、仏教は不立文字(ふりゅうもんじ)だと、本にあるものではないんだと、教外(きょうげ)別だと。

ということは、解脱、覚りのことを言っているんです。解脱、覚りというものは言葉で説明できるものではないんです。自我をなくすことだから。自我がなくなっちゃったら、何とも言えないでしょう。

 

わたしがいるんだから皆様もいるんであって、わたしがいるんだから、こういうちょうちんとか飾りが見えるんであってね。わたしがいるんだから、これはマーヤデーヴィー精舎になっていて、わたしがいなかったら? 消えたら? ないんですね。

 

自我をなくす、自我って錯覚ですからね、自我をなくす世界なんです。だからそちらに言葉はありません。

 

だから禅宗でよく言っている、「わたしは覚ってやるぞ、というのも自我」だからね。

ある禅師が瓦を磨きだしちゃったんだからね。弟子が「覚りたい」って言っているのを聞いて。それで「先生、何をやっているんですか?」と聞いた。

 

禅師「イエ、わたしは瓦を磨いたら鏡になるんじゃないかと思って」

弟子「先生、そんな馬鹿なことが」

禅師「そう言うおまえこそ、何をやっているんですか」

 

これは弟子をバカにしたんじゃなくて、真理を伝えているんですよ。あの公案で。

だから、「我は覚りたい」ということが最悪だと。煩悩そのものだ、と仰っているんですね。

 

そういうふうにみれば、お釈迦様が教えた教えを、あの中国文化の中で、あの頑固な世界で、何とか生かしてあげたんですね。

 

わたしが禅宗のお坊さんを見ても、別の宗派のお坊さんという感じが全然しないんですね。

 

それは、その「こころ」なんですね。こころが、お釈迦様の教えを学んで、正直に頑張っていますからね。

(続きます

誕生と成道と般涅槃を一日にまとめたワケ - 関西ウェーサーカ祭2016(2)

The Essential Dogen: Writings of the Great Zen Master

参考過去記事:

師匠を絞れない - ブッダ・ラボ - Buddha laboratory

Q.わたしは座禅会に参加したり、こちらの法話会に参加したり、ある冥想の合宿に参加したり、何か所か経験してきましたけれども、どこか一か所に限定するっていうことはできてないです。

師匠と弟子の関係になる、ということについてお伺いさせてください。

 

A. 曹洞宗のお坊さんがたは、ものすごい立派な方もたくさんいるし、だからそういうお坊さんたちと仲良くして、いいところも悪いところも別に気にしないで付き合って、……