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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

「唯我独尊」は事実確認 - 関西ウェーサーカ祭2016(4)

説法めも 仏教と日本・仏教哲学

前回

菩薩誕生 - 関西ウェーサーカ祭2016(3)

 

そこでお釈迦様が生まれてすぐ「これは最後の生まれです」と。

最後の生まれというのは、輪廻転生をして、して、して、最後のゴールに達しましたよ、勝利ですね、もう。最後の一歩を出したらゴール。あと一歩なんですね。

 

すべての生命の中で、解脱というゴール目前に立ったんですね。

あと一歩。それでテープが胸に付くんです。でもそのテープを胸に付けない限りは勝利じゃないんですね。

みんなテープを張って待っているし、他には誰も後ろにいない。一緒に走る人々がいたとしても、かなり後ろのほうで遠い。

 

最後の生まれだから、一切の生命の中で自分が先輩です。

菩薩が手を合わせるべき生命が、梵天、神々、人間、地獄、六道、どこにもいない。他の宇宙の生命の中にもいない。これが事実。

 

輪廻転生している生命の中で、最後の一歩まで進んだんですね。

他の方々は、まだまだ輪廻転生してグルグルグルグル回っている。道にも入っていない。

 

ですから菩薩は、「自分が一番トップになりました」と。

自分が解脱に達するだろうということは、もう決まったものだと。だから生命の中でわたしより優れた生命、偉大なる生命、先輩になる生命はいません、と生まれてすぐに語ったんですね。「これは最後である」という意味です。

 

Aggo'haṃ asmi lokassa

Seṭṭho'haṃ lokassa

Jeṭṭho'haṃ asmi lokassa

Ayam antimā jāti, na'tthi dāni punabbhavo.

(私はこの世で首位にある。

私はこの世で最年長である。

私はこの世で最も優れている。

これが最後の生存であり、以後再びこの世に生を受けることはない。)

 

「唯我独尊」という日本語にはなりますけどね、いわゆる、最後のところまで行った、ということです。事実だけ。威張っているわけではないんです。

 

お釈迦様は長い間、いろんなブッダたちに会って、修行して、修行してきたんだから、自我がほとんど機能しないんですね。

菩薩修行を始めたその日でも、覚りに達する能力があったんです。最初からも自我がなかったんです。根絶していなかっただけ。自我が割り込んでこない。いつでも生命のために何かする。いつでも自分を捨てて、人びとを憐れんで何とかする。そういう生き方を長い長い輪廻転生の中でやって来たんです。

 

だから、今更、自我を張って威張って偈を詠んだわけではないんです。事実を確認しただけ。

ただ行いによって、一番優れた唯我独尊になりました、と。徳が完成していて、これ以上やることはないんだと。

(続きます

アシタ仙人の涙 - 関西ウェーサーカ祭2016(5)

 

スマナサーラ長老・ウェーサーカ祭 午後法話 mayadevi 2016.4.29

https://www.youtube.com/watch?v=vYomM7Q2ROY&feature=youtu.be(期間限定公開動画)より書きました。

Smiles of the Baby Buddha

関連外部サイト:

巻頭法話(87)「釈尊の日」を祝う 2002年5月

この場合は、生まれたばかりの赤ちゃんが大胆な言葉を言ったと受け取るのではなく、教理的に理解するのがよいのです。

釈尊は、すべての生きとし生けるものが存在の苦しみから脱出する方法を発見されたのです。生命あるものの思考パターンは、苦しみの屋上屋を架するやり方でしか幸福を追求することができないものになっているのです。魚がどんなに頑張っても陸を歩くことができないように、苦の問題は解決できないでいるのです。

その解決しがたい壁を、一人の人間(釈尊)が打ち破ったのです。「悟り」を発見したのです。釈尊が、悟りを開く前から人間として桁違いの能力をもっておられたからこそのことと言わなければなりません。

 

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