前回
最期のときは、一人になることもできなかった。
涅槃に入ると宣言していたからね。
最期の安居があって、それから三か月後ですね。ということは十二月あたりだと思います。
そこでお釈迦様は、アーナンダ尊者にはしょうがなく弱音を吐くんですけどね。「歩けないんだよ」とか「疲れたよ」とか。「ちょっと横にさせてよ」というふうに。
最期の日は、三回も倒れちゃったんですね。
それでやっと、クシナーラーの沙羅双樹の場所で、小さな町でしたからね、アーナンダ尊者が「もう少し行きましょう」と言うと、「いえ、もう一歩も歩けません。それに、この場所は小さな町ではないんだよ」ということで、横になって、それから立ち上がらなかったんです。
最期の最期に、お釈迦様がほとんどしゃべれないときでも、ある他宗教の人に説法したんですよ。そのときは、はっきり言ったんですね。
他宗教の人は、「誰だって解脱に達せますか?」
お釈迦様「達せますよ」
「解脱に達する人々は、ブッダの教え以外にもいますか?」
「あのね、解脱に達するためには、四聖諦を発見しなくちゃいけないんです。四聖諦を発見したのはわたしだけですよ。だから、わたしの教えを聞いて修行する人々以外、どこにも解脱した聖者はいません」
その言葉は一回だけなんですね、言ったのは。もう時間がないしね。だからもう遠慮する必要はないんですね。
「ブッダの教え以外で解脱した人はいません」と。
第一沙門も、第二沙門も、第三の沙門も、第四の沙門も。預流果、一来果、不還果、阿羅漢果の四つのことですね。それら沙門は、ブッダの教えを学んだもの以外、いません。
だからわたしは、ブッダの教えを歪曲(わいきょく)してしまったら、終わりだと思っているんです。
般若心経の悪口を言ったのはそういうわけなんです。
般若心経は、「色は空である」は正しい。しかし、「空は色である」は間違いなんです。色受想常識の色は空である、というのは仏典にも書いてあることなんです。
これを変えちゃうんですね、般若心経では。
何も知らない人々が。
それで、「ギャーテー、ギャーテー」で終わっちゃうんです。解脱の一かけらもないんです。
わたしもお釈迦様と同じくハッキリ言いますけど、あれは写経するな、と。不幸になります。
だって仏法僧を侮辱することだから。
写経するなら「慈経」が一番いいんです。
探していましたが、慈経の漢文はないそうです。漢訳仏教では。
シンガポール、マレーシアに、慈経の漢文があるのかとメールで問い合わせましたが、ないようですね。
写経して徳を積みたいと思うならば、ブッダの言葉でなければ。
(続きます
三大事件をまとめた裏の意味 - 関西ウェーサーカ祭2016(最終回・10))
スマナサーラ長老・ウェーサーカ祭 午後法話 mayadevi 2016.4.29
https://www.youtube.com/watch?v=vYomM7Q2ROY&feature=youtu.be(期間限定公開動画)より書きました。