前回
ブッダの教え以外で解脱した人はいません - 関西ウェーサーカ祭2016(9)
それはちょっと脱線した話で、他宗教者とお釈迦様の会話に戻りますが、
そのときはもう亡くなるところですよ。あと二、三時間で。
それでもその方に真理を語って、その方は覚りに達したんです。
それでもうしゃべる力がなくて、最後に、あの言葉を語ったんです。
意味は、「比丘たちよ、あなたたちのことを憐れんで告げます」
憐れみというのは、心配、という意味です。
「君たちのことを心配するから言います。すべての物事は消えて壊れるんだよ。だから、不放逸で励みなさい」
パーリ語で、
最期の言葉(DN,No.16)
“handa dāni, bhikkhave, āmantayāmi vo, vayadhammā saṅkhārā appamādena sampādethā”ti.
そのときは偈ではなく、ふつうの言葉です。
それから息を止めて、涅槃に入られました。
だから四十五年間、肉体を背負っていたんですね。それを捨てちゃったんですね。終わりですね。ゴールですね。
それまでは、肉体にご飯を食べさせなければいけない。洗ってやらなければいけないという仕事があった。それも終わった。
だから、涅槃に入ったことで、ゴール、終わりです。
そういうことで、真理からみると、三つの偉大なる出来事は、仏教の教義からみると同じこと、ゴールに達しましたよと。
だから一日にまとめてお祝いしなさいと。
だからわれわれがお祝いするときは、同じ日にちにお釈迦様が誕生して覚って涅槃に入られたということよりは、裏の意味を理解して、
人間にとっては、最後のゴールは解脱、涅槃であると理解して、そこは真剣に頑張らなくちゃいけない、
ということになってはいます。
(おわり)
最初から読む:禅宗のお坊さんは、別宗派のお坊さんという感じが全然しないんですね(スマナサーラ長老)- 関西ウェーサーカ祭2016(1)
スマナサーラ長老・ウェーサーカ祭 午後法話 mayadevi 2016.4.29
https://www.youtube.com/watch?v=vYomM7Q2ROY&feature=youtu.be(期間限定公開動画)より書きました。
関連外部サイト:
ラストスパートというのは、ゴールの直前に起こることですから、次の瞬間にゴールに達することは確かです。 この意味で、お釈迦さまの降誕も成仏も入滅も、生命としてのゴールに達することを意味しています。