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Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

どんな場合でも嘘をついてはいけませんか?(後編)

前回

どんな場合でも嘘をついてはいけませんか?(前編)

 

わたしが思い出したのは、われわれは子供たちには結構嘘を言うんですね。

物語やいろいろね。あれは、子供をだますつもりは、まずないんですね。子供たちも、だまされないんです。「そのときはウサギちゃんはクマさんにこう言いました」と話しても、子供は喜んでいるだけで、ウサギがしゃべるわけないでしょう、ということを知っているんです。そういう場合は明らかに嘘ですけどね。そこで何か作品を作ってふざけて遊ぶという目的があるんだからね。

 

そのときのわれわれの仕事は、事実をどれくらい面白おかしく語るか。嘘を本当のことのようにどう語るかということなんですね。

 

事実そのものを書いたら小説にならないんですね。

そこをねじっちゃうんです。事実を嘘に変える、嘘を事実に変える、という技なんです。だから小説の中に、ふつうの世の中にある事実がたくさん入っていますよ。それを結構研究もするんですね。でもあんなものから何か学ぼうと思ったら大変なことになっちゃうんです。ちゃんとデータを取ってますけど、ねじっています。嘘ですね。その間に、自分で作った嘘を本当のように入れちゃう。

 

それが嘘かというと、嘘と言えば嘘なんですけど、人間の一つの商売のやり方だからね、仕方がないんですね。

 

作文を書くのはね、遠い昔からあった文化だからね。

最近のものじゃないんですよ。人間が文明を始めたときも、作品をつくることから始めたんですね。特に歴史を後輩に教えなくちゃあかんですね。それを伝説にするんですね。ストーリーにするんですね。文字はなかった時代におじいさんたちが子供たちを集めて、物語を語る。物語だから子供たちも憶えちゃうんですね。でも自分たちの歴史もなんとなく入っているんですね。

 

それでどこから事実で、どこから嘘かとわからなくなってしまいますけどね。

 

人間が嘘のところを憶えておくんですね。事実がなければ嘘をつなぎ合わせられないから、仕方がなく憶える。

 

とにかく、そういう歴史の世界ではなく、われわれが毎日生きている場合は、いかなる場合でも嘘をついてはいけない、と言わなくてはいけない。

日本で昔、がんを告知しなかった。その場合は嘘を言わなくちゃあかんでしょう。その場合は、本人が医療的にも知らないから、いくらかでも身を守ることができなくなっちゃうんですね。だから告知するべきなんですね。

 

それで、誰も告知せずにいて、一人の医者だけが告知した場合は、その医者が悪人扱いされますからね。告知が全体的に当たり前のことだとしておかなければいけないんですね。

 

人が「このできものが悪性だ」と言われてビックリする。そこで、「誰だって病気になりますよ。われわれはそれに対して治療をします。あなたも自分の仕事をしなかったら知ったことじゃないんだよ」と言わなくちゃいけない。「あなたも元気で明るく、日常生活のやるべきことをやっていてください。その間でわれわれも医者としての仕事をします」

 

患者さんが「なんでわたしががんになったんですか?」と言ったら、「あなたのその性格だからがんになるんだよ。わがまま過ぎです」と言った方がいいんですが、やっぱりお医者さんは言わないんですね。患者の機嫌を取ることも仕事の一環だと思っているんだからね。そうじゃなくて、怒って怒鳴ることも仕事の一環なんですよ。

 

まあ、そういうことで、嘘でだますよりは、本当のことを言って戦う勇気をあげるというほうが正しいですね。

 

敵を知ったならば戦える。敵が何者かわからない場合は戦えないんですね。

(おわり) 

 

うそ発見器

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次に「殺生をしない」、というのも、もういらない。

その人が殺生するわけないでしょう。

まったく嘘をつかない人間が、人を殴ったりとか、もうないでしょうね、人間ができているんだから。

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