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ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

強欲な人にどう対応するか? - 土地や財産について

欲・怒り 説法めも

質問

「ある地主から土地を借りています。最近、賃料の値上げを言われて困っています。土地の所有権、お金に対して、どういう心構えでいればいいでしょうか?」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

土地は自分のものじゃないんです。

自分のものだと思っている人は、法則を犯しているんです。法則を犯すことは罪なんです。

 

仏教的に罪というのは、自然法則を犯すこと。

自然法則に合わせて生活しなくちゃいけない。

 

殺生だけが罪なんじゃなくて、すべての生命が生きていきたいんだから、生きる権利がある。

生きる権利を奪うことが法則を犯したこと。だから罪というんです。

 

生命は物事を信頼して生きて生きたんです。

信頼を裏切ること。

いわゆる嘘をつくことは法則を犯すんです。誰も騙されたくない。「わたしを騙してちょうだい」という生命はいません。そこで嘘をつくことが罪というんです。

 

同じことで、法則を犯すことが罪。

なんで犯しちゃうかというと、自我・執着というこころの病気なんですね。

 

だから土地とか所有権に対しては、何も所有権を持てないんですね、本当は。

たまたま自分の名前であっても、これはわたしのものじゃないと、置いておくものであると、すべて捨ててあの世へ行くんだよ、という気持ちですべての人間が生きるべきなんです。

 

子供のために土地を残しておきたいと思っても、人間の社会では仕方がないけれど、これも法則違反なんです。自分が所有権を持つ土地でも、自分が死んだあとは誰が所有するのかわかったものじゃないんです。

 

東京を見ると、ものすごく多くの人が住んでいるでしょう。

もともと東京に土地を持っていた人々はどうなっているんですかね。その方々は所有権をなくしているでしょう。全く関係のない人々が、会社とかが土地をもって、高層ビル・高層アパートを作って住んでいるんですね。

 

江戸時代にも人々がいて、こちらに土地をもっていたでしょうね。

 

人間が土地に執着しちゃうと、死後、すごい不幸になるんです。

執着が少ない方が死後、幸福なところに生まれるんです。執着が全くない人は、解脱・涅槃という安穏に達します。

執着の程度で幸福を決められますね。

 

執着があり過ぎると、すごく頭が働きますよ。

存在欲だからね、「生きていかなくちゃ!」「わたしのものは誰にもあげませんよ」と言っちゃうと、原始脳が結構働いちゃって、大脳を壊さないようにするんです。だから認知症には絶対ならないんです。

でも、鬼の性格で生きて、死後不幸に陥るならば、そんなに聡明であることも結局は不幸なんですね。

 

わたしなら、からかっちゃう。

「おばあさんが全部持って行くんですね。持って行ってくださいね」とかね。「自分のものは糸一本でもあげてはいけませんよ」というと、怒られますけど、言われた本人がなんとなく自分がバカやと発見します。

 

「儲けられるならいくらでも儲けないと。だって死ぬとき持って行きますから」「貯金は殖やしましょうよ」というふうに言う。

なぜならば、そういうふうにいってくれる人は一人もいないんです。みんなお説教していると思います。「おばあちゃん、そんなに執着しないで、もうちょっと優しく、人のことを考えなさいよ」と言っているはずなんです。

 

だからドンドン握りしめてやるぞと。奪われてたまるかと。だから周りが悪人を作ったでしょうね。逆に、「持って行ってください」と言った方がいいんです。

「一円でも蓄えるべきだ。それこそすべて、死んで持って行きますから」と言った方がいいとは思います。

 

たとえば親戚で、一人が土地を独り占めにしている。

放っておけばいいんですよ、人間は何もなくても生きていられますからね。

たとえば親に縁を切られて。親は土地や財産を持っている。親が子供の縁を切るのは、子供もろくでもない性格だということはハッキリしますが、別にいいんですよ、親が縁を切っちゃったらこちらも切らなくちゃいけない。何もなくても人間は生きていられます。土地を持って生まれたわけじゃないでしょう。誰も。

 

権利書持って生まれた人がいる? 

それでもうまくいったでしょう。裸で生まれて。自分では呼吸するくらいしか能力がなくて。それでもうまくいっているでしょう? 人々のお陰で。

 

生まれた赤ちゃんは呼吸くらいですよ、自分でできるのは。それでもお母さんのお陰でうまくいったし。それからも、いろんな人のお陰で何とかうまくいくんですよ。

 

だからわれわれは、人から助けてもらう技を身につければいいんです。

基本的なところは赤ちゃんが持っているんですね。赤ちゃんはかわいいんだからね。だからみんな、赤ちゃんを助けてあげる。赤ちゃんの機嫌を取ってあげる。守ってあげる。単純にかわいいからなんです。

 

その能力を、われわれは改良して、開発して、たくさんの人々に好かれるように能力をあげればいいのに。

 

土地は、何のためですかね? あの土地も持ってやる、この土地も持ってやる、儲けが足りないから他の人に貸しますよ、というのは、そんなためじゃないでしょう。

 

そういうことなんですね、こたえは。

わたしたちは、人が執着して、おそろしい鬼のような生き方をしているならば、どうぞご自由にと。というふうにして、自分が楽に生きていればいいんです。

 

わたし自身が楽にいられる方法っていうのは、やっぱり、赤ちゃんのときと同じく、それなりに能力をつける。役に立っているとか、優しいとか、いろいろあるでしょう。

 

よく憶えておいてください。

他に何もいりません。うまくいっているんだから。それは、人に助けられてうまくやってきた。

人に助けられる能力は、自分で育てなくちゃいけない。

人に愛される、人に好かれる能力は、「わたし個人の」宿題なんです。

それだけで生きていられます。なんの問題もなく。

この地球上、どこに行っても、安全でいられます。

(おわり)

 

スマナサーラ長老・東京法話と実践会 2016.06.12

http://www.ustream.tv/recorded/88196045 (期間限定公開動画)を聞いて書きました。

Tickle (Leslie Patricelli board books)

関連エントリ:

慈しみの心でいるのに失敗するのはなぜ?仏教を学ぶ人が陥る心の罠。慈悲の実践上級者編です。 - ブッダ・ラボ - Buddha laboratory

たとえば財産分与で争いが起こる。そうするとなるべくたくさん自分が取りたいって言う気持ちになるでしょ。じゃあ慈しみで均等に分けましょうといっても、うまくいかないんですね、その場合は。

 

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