ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

メディアの情報に振り回されてしまいます(前編)

質問

「わたしは欲もあまりなく、落ち着いて生活を送っています。

 

しかし、テレビを観ていると、つまらないことや意味のないことをしゃべっていて、おべんちゃら、愛想笑いをしています。

識者でも本当のことが言えない、という状況が続いています。

そういうものを観ていると、わたしのこころがだんだん縮こまるというか、不愉快になって、自分が余裕がなくなるというのが、寂しくて悲しくて、どうしたらそうならずに豊かなこころになっていくのかなと思いまして、ご相談したいと思います」

 

回答(スマナサーラ長老)

 

外から触れるものによって自分が左右されるならば、大したものじゃないんですよ。

大した人間でもないし、大した人生でもないしね。立派な人間というのは、そういう情報に左右されない。情報は何なのかと知って、「ああ、こういうことか」と左右されない。

 

簡単な答えは、テレビを観ないことですね。

しかし、わたしはそれは答えだと思っていないんですね。

 

簡単な答えをみんな言っちゃうのは、「あんたそれくらい落ち込むなら、テレビを消したらいいんじゃない」といういとも簡単なこと。

 

でも、テレビを消しても病気はそのままだからね。

もしその人がどこかでご飯を食べようとして、テレビがついていたらどうなりますかね? 大変なことになりますね。

あるいは病院で、待合室にテレビがあるんだからね。

 

だからそういうことじゃなくて、やっぱり、情報が入ってもこころが揺らがないようにしておくことなんです。

それが立派な人間でしょう、そうなってくると。

だから、大事なデータなら受け取る、そうでなきゃ受け取らない。

 

このあいだわたしが番組を観ていたら、そのアナウンサーがしゃべるわ、しゃべるわ、しゃべるわ……。プロなら、ピシッとテーマについてしゃべって終わらなくちゃいかんでしょう。それなのに延々としゃべる。

 

わたしはそこで、どうやって理解したかと言うと、「犬も自分の声に惚れる」と。

おもしろいんです。犬はかわいいんだけどね。「ワンワン」と吠えて、自分で「なかなかいい声だな」と思うとやめられないんですよ、もう。いつでも、ワンワンワンワンと吠えちゃう。

 あれは相当自分自身の声に惚れちゃってね、はた迷惑ですけど(笑)。

 

わたしはあの犬を思い出しちゃた、あのアナウンサーを観てね。

ただ仕事だから言葉を並べているだけで、イマジネーティブで、びっくりするような単語を使う能力がないんだと。

 

こちらの年寄りとしての見方ですけどね、若者を認めてあげなくちゃあかんでしょう。やっぱりワンちゃんも自分の声に惚れちゃいますから、これは仕方がないと。それで別の番組を観ることにしたんです。

(続きます

メディア情報に振り回されてしまいます(後編)

 

関西月例冥想会 2016.6.19

https://www.youtube.com/watch?v=_HKuPEM2Ze0 を聞いて書きました。

A Dog Named Jimmy

参考外部サイト:

パーリ語仏教用語集『PAKINNAKA CETASIKA(パキンナカ チェータシカ):雑心所』

viriya (ヴィリヤ): 精進(しょうじん)

⇒努力しようとするエネルギー

ヴィリヤが育たなければ人間は自由にならないのです。ヴィリヤが弱い人は煩悩(貪瞋痴)に操られている奴隷状態で、目の奴隷、耳の奴隷、鼻の奴隷、舌の奴隷、身体の奴隷、考えの奴隷という、どうしようもないひどい状態です。自由は全くありません。
 
 ヴィリヤを育てれば育てるほど、人は自由になります。六処(眼耳鼻舌身意)の意のままに操られる状態から脱出できるのです。心をコントロールできるようになってはじめて、私たちは自分の見たいものを見る、聞きたいことを聞く、考えたいことを考える、という状態になれるのです。