読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

メディア情報に振り回されてしまいます(後編)

前回

メディアの情報に振り回されてしまいます(前編)

 

例えば料理番組をわたしが観る場合は、「なるほどこういうふうにあの料理を作るんですね」とかね、学ぶんだけど、自分では作りません。

なぜかと言うと、入れる材料をみていくと、「あれはわたしは食べませんし、入れません」とか、調味料のリストをみていくと、どうしても入れないものがあるんですね。料理番組を観ますよ。しかし、自分ではやらない、あの調味料は入れない、ということになります。

 

それでも、何か学ぶんですよ。

なんでこの野菜は縦に切るんですか、輪切りにするんですかとかね。その中にはね、やっぱり勉強になるものもありますよ。

 

たとえばレンコンなんか、縦に切ったらどうなる? そうやって考えればいくらでもデータがあるでしょう。レンコンを縦に切って、それなりの料理ができますよ。全部輪切りにして天ぷらで揚げなくても、縦に切って揚げてスティックみたいに食べられますよ。

しかしレンコンを縦に切るなら気をつけなくてはいけない。輪切りほど簡単じゃないんです。

 

そういうふうに何か学ぶものがあるんだけど、自分がやるかというとやりません。レンコンを買ってきてどうやって縦に切るかとか(笑)。

 

そういうことで、テレビを消すのではなくて、あまり見てはいけませんだけど、一応、暇があってテレビをつけたなら、何か学ぶものがあるのかとデータを取って、他のものは無視しておく、ということで、情報によって左右されません。

情報をどのように受け取るのかと「わたし」が決めます。自分の主権をね。しっかり守らなくちゃいけないんです。

 

これは競争なんですよ。

情報を流す側が、とにかく人々を抑えたいんですね。

マスコミ側が、とにかくみんなに強引に押し付けてビックリさせたいんですね。一人一人が自分で判断するならば、マズいでしょう。だから自分で判断できないように、圧倒されるような感じでプログラムを作っちゃうんですね。

 

服も、お化粧も、何から何まで。精密にみるとどれほど気持ち悪い世界かとみえてくるんですよ。人々のお化粧や、耳につけるものやら、一つ一つ見てください。見る人を圧倒させてやるぞと。一個一個を見ると何のことはない。これは下らんやとわかるんです。

 

そういう方々は、一生懸命、プロを雇って、服のデザイン、髪型で、なんでもかんでもインパクトを作って、われわれの自分で判断する能力を奪ってやるぞというカラクリなんですね。負けてもいい?

 

それに打ち勝つのは自分の世界でしょう。

向こうは悪いことをしていなんです。必死です。インパクトを作ってやるぞと。

 

前に例に出したアナウンサーも、言葉を並べて並べて……。しかし結局わたしの頭に浮かんだイメージは犬なんですね。だから本人の希望としては、「この人は勉強しているな」と思ってほしかったでしょうね。でもわたしは、昔自分のところにいただらしないワンちゃんの顔が思い浮かんで「あいつもよく吠えたね」と。

 

犬が吠えて、「この声どうですかね」(どや顔)と、そしてまた吠える。

そのときバカにしてあげてもいいんだけど、わたしはバカにしませんね。「よーくできました。じゃあこっちにおいで」とか、「よく頑張りましたね」と言うと、それで吠えるのをやめてくれるんです。

 

アナウンサーが期待したイメージではなくて、そういうイメージが起きてくるでしょう。

 

とにかくマスコミ、新聞の記事なんか読んでみて、下手か上手か自分で判断してください。役に立つか立たないか判断してください。

そこを、落ち込んで腹が立って気持ち悪くって、と言っちゃうとね、全然大した人生じゃないんですね。

 

ものごとをみるときのいろいろな見方がありますので、それぞれ一つ一つね、見たほうがよろしいんですね。

(残りの人生の)時間がないんだからね、くだらないことを見る必要はないんですね。自分に関係があるものだけ選んで見たほうがいんですね。

 

関係ないものでも見る羽目になっちゃえば、その中から何か学べばよろしいし。

時間がないから選ぶ。選んだからと言ってそれに乗せられないように、自分の主権を使わなくちゃいけない。そこは能力が足らないんですから、能力を育てたほうがいいんじゃないかなと思いますね。

 

人に文句言うんじゃなくて、できるだけ「これはわたしの問題だ」と考えたほうが。できるだけ。

「これはわたしの問題。わたしの態度が良くなかった」とかね。「鵜呑みにしたわたしが悪い」とそういう感じで情報管理したほうがいいんですね。

(おわり)

 

関西月例冥想会 2016.6.19

https://www.youtube.com/watch?v=_HKuPEM2Ze0 を聞いて書きました。

Ein Hund namens Jimmy

参考外部サイト:

巻頭法話(149) 思考さえも自由にならない

現代マスコミの気になるところは、倫理綱領ではなく、何かをしてスクープを探し出して一般社会にアピールすることです。皆に見て欲しい、皆に読んで欲しい、という気持ちが強すぎて、情報は単なる娯楽番組に変身するのです。ジャーナリストは実際何が起きたか、ではなくて、自分の手に入ったわずかなデータに基づいて、いかに感動的な作品を作るのかということに、必死なのです。というわけで、公正も正確さも、独立も寛容も希薄になってしまうのです。

(上に挙げた法話は、 引用個所のみならず、全体的にとても重要なことが書かれている。2007年のパティパダー巻頭法話だが、2014年に起きたスタップ細胞問題を彷彿とさせる記述も。)

広告を非表示にする