ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

物惜しみは病気 - 物惜しみの性格とは?(2)

前回

貯めることで暗くなる - 物惜しみの性格とは?(1)

 

それで道徳的に物事を考えるんですよ。

貯めてもいいんだけど、博物館に置いておく程度のものは貯めないほうがいいでしょう。なんの役にも立たない壺とか貯めてもいいんだけど、一万円程度のものにしてください。珍しい壺が安く手に入って、調べたらかなり歴史のあるものだったら、置いておかないでサッサと博物館に寄付してください。そのほうがいいでしょう、自分の命がなくなるよりは。

 

そこらへんで道徳が語れるんですね。

絵画を集めるなら、ビル・ゲイツくらいのバカでなければ意味がないんです。ビル・ゲイツが絵画を集めても、自分の家に置いているわけじゃないんですね。どこか別の場所でそちらにあるんであって、それは本人にとっては楽なんですね。

 

だから、貯めるときにも道徳観がある。

わたしが得に言いたいところは、そうじゃないんです。

楽しみ、幸福もあるんですよ、貯めたことに。それが貯めるときじゃなくて、貯めたものを使うときなんです。

そのとき、ムチャクチャ幸せなんです。

 

貯金をする。ドンドン暗くなるだけで。でもそれで、外国旅行でもしちゃう。結構気持ちいいんですよ。分割払いでもなくドカーンとお金を払って、「部屋は何人部屋にしますか?」と聞かれれば「わたしは一人部屋でよろしいんですよ」とかね。そうやって結構たのしめるんですよ。

 

金があってよかったというのは使うことにあります。

一番いい例で言います。

弁当を買ったりしますね。おなかが空いちゃって。結構無理をして高い弁当を買うことにしましょう。東京駅で。

東京駅では、千円くらいの弁当はだいたい千七百円です(笑)。

新大阪駅のことはあまり知らない。あまりにも人が多すぎちゃって、見学もできない。わたしは見学しますからね(笑)。

 

東京はもっと人が多いんだけど、結構場所が広いんだからね。

それで、東京駅で弁当を買ったとしましょう。

今日も見学しましたよ。これくらいの小さい寿司が三つですね、なんか箱に入って、七百円。ちょっと食べるだけでね。一人前の量を考えると、三つくらい買わなくちゃあかんでしょう。七百円×三つになりますからね、相当安いんですね(笑)。

 

それで、じゃあ高い弁当を買ったとしましょう。楽しめる? 楽しめませんね。

この楽しみが、食べるときに出てくる。

 

五百五十円の弁当を買っても、置いておくと気持ち悪くない? 

それを取って開けて食べると、気持ちいい。楽しい。

それからきれいさっぱりゴミにだからと捨てると、「ああ、よかった」と。

それを、置いたままにしたらどうなる? まず、まずくなって食べられなくなりますね。そこにある限りは気持ちが悪いんですね。捨てるときでも、なんか嫌な気分で捨てなくちゃあかんですよ。

 

ですから、幸福はどこにある? 使うことにあるんです。

 

だから「物惜しみ」っていうのは病気ですね。

在家の人が幸福になりたい、幸せに生きていたければ、物の使い方を学ばなくちゃあかんです。使う時点で幸せが生まれてくるんです。車を買ったらドライブするときが楽しいんです。自分の家のガレージででっかいシートをかぶせて隠しておいても、迷惑なだけなんです。

(続きます

「幸福にさようなら」- 物惜しみの性格とは?(3)

 

関西月例冥想会 2016.6.19

https://www.youtube.com/watch?v=_HKuPEM2Ze0 を聞いて書きました。

 

The Buddha and the Bento: Japanese Culture and Cuisine

(「ブッダと弁当」? どんな関係があるんだろう)

 

関連外部サイト:巻頭法話(92) 『与える』人は損をしますか? 2002年10月

布施と人付き合いの関係を考えてみましょう。ケチ、物惜しみ(macchariya)という性格があります。自分のものを他人が使用することを極力嫌がる性格です。自分の方へ財産が流れてくることは歓迎するが、自分の方から外へ出ていくことは阻止する。このような人とは誰も付き合いたくありません。付き合う人は、必ず何か損をするのです。