前回
仕事の場合は、わたしに与えられた仕事、わたしに責任のある管轄の仕事は完璧にやるぞと。
誰にも文句言えないようにやっていやるぞというふうに、頑張ってみる。そのときはちょこっとプライドが関係しますけど、見返りは関係してこないんです。職業に対する自分のプライドなんですね。そこは、誰かに何か言われちゃうとマズいと。言われないように、しっかりと、完璧にやる。人が褒めても褒めなくてもどうでもいい、と。認めても認めなくても、関係ないんだと。
ちょっとネガティブな言葉で言うなら、「文句あるなら言ってみろよ」という態度なんです。わたしの仕事に、と。そういう態度で仕事をする。そうすると仕事が楽しくなってくるんです。
わたしは、昔々、仕事をしていたときはそういう調子でやりましたけどね。
学生さんに褒めてもらいたいと思ったら、いたって簡単で、ごまかせばいいんです、授業は。だって、学生というのは、勉強したくない者に「学生」というんだからね。
わたしは、そうではなくて、他の先生と比較にならないくらい厳しくやっちゃうんです。一時間の授業で、他の先生なら一か月間くらいで教えるデータを教えたんです。学生さんたちがクタクタなんですね。嫌な顔をしてます。けど文句は言わない。文句は言えないんです。
弱音はいいますけど、弱音は聞かない。理解はします。これはちょっと、この連中には難しいかも、と。
それはわかるんだけど、それではめげません。それでもあなた方は成長するべきだという態度がこころの中にあって。だから「なんか文句ある?」という態度で。「なんか授業に不満でもある? あったら言ってみてください」
同じ内容を研究している、わたしの先輩の先生方もいました。「そちらで授業を受けたらどうですか、紹介してあげますよ」というと、学生は引き下がるんです。当時、わたしは下っ端の教師でしたけど、教えるレベルがずいぶん違う、と学生はわかっていたんです。
そういうわけで、これは自分の経験で、欲と怒りが絡まないやる気なんですね。
だから欲と怒りではなくて、仕事はまじめにこなすんです。
給料とか関係ないんだと。それは人類に対して、わたしというちっぽけな人間に与えられた義務なんですね。これをしっかりやりなさいと。
わたしのせいで問題は起こしません、この社会ではと。というところで、やる気が出るでしょう? そこには、欲も怒りも入っていない。
そんなもんなんですね。複雑ですから、こういうふうにわたしが言ったような感じで、考えてほしいんです。
基本的にはみんな、欲で生きているんだから。怒りで生きているんだからね。
だから思い浮かばないんですね。
長い間、訓練しないと。怒りでもなく、欲でもなく、自分の仕事や義務を果たすというね。
(続きます
法話・スマナサーラ長老 関西月例冥想会 2014.6.01
http://www.voiceblog.jp/najiorepo/2047354.html を聞いて書きました。
関連外部サイト:
パティパダー巻頭法話No.175 (2009年9月)
やるべきことを妨げる、やりたいこと ~感情で生きる人生には理性の出番がない~
Doing only what you like means indulgence
http://www.j-theravada.net/howa/howa175.html
人の本能というのは、言葉を変えれば感情なのです。感情は仏教用語で、「煩悩」になるのです。ですから、ものごとを煩悩で三裂(好き・嫌い・どちらでもない、という三つ)に区別することになるのです。感情の特色は、決して理論が成り立たないということです。