(前回
一番根幹になることは、生きていきたい、死にたくないんです。
その理由を聞いたら、「わからない」なんです。「教えてください」と。「わたしは生きていきたいんだけど、その理由は何でしょうか?」とわたしに聞いたってもね、生きていきたがっているのはあんたでしょう、と。
それは、「わたしはアンパンが食べたいんだけど、なんで?」とわたしに聞くような感じなんですよ。
なんで他人に聞くんですか。
だから、わたしたちが巨大に持っているこのエネルギーが、生きていきたいというね、渇愛・生存欲があって、それを皆様方は実感していることでしょう。生きていきたいと。
生きていきたいというすごいエネルギーがあるんだけど、目的がわからないんですね。
だからこの衝動を消すこともできないし、だからといって、どうすればいいかもサッパリわからないんです。
目的がなければ計画が立てられないでしょう。
そこで見えてくるでしょう。「無明」と。
発見してない。
無明を理解する前に、われわれが実感している存在欲にアクセスしてください。
これはいたって簡単です。
生きていきたいでしょう? 皆さん。死にたくないでしょう? それが存在欲です。
それってすごく強烈でしょう。
わたしたちがやっている子育てやら、家族のことやら、仕事やら。友達作ることやら、料理やら、なんでもかんでも、生きていきたいんだからやっている副作業なんです。その場合は目的がハッキリするんです。
なんであなた牛肉買ったのか? と聞けば、焼き肉したいとか、しゃぶしゃぶにしたいとか、目的があるんです。そこであまり困らないんです。
しゃぶしゃぶ食いたかった人は、その材料を買ってくるんですね。ついでに洗濯ネットも買ったんだから入れましょう、というのはありえないんですね。
だからあまりトラブルは起こりませんね。
そういうことで、目的を知ったほうがやりやすい。
目的を知らないとやりづらいんですね。
子供たちもときどき「なんで勉強するのか?」と聞くんですね。
子供たちに「勉強しろ、勉強しろ」と責めているでしょ? 子供たちはわからなくなっちゃう。なんでそこまでやらなくちゃいけないのか、と。
そうなってくると、なかなか勉強に身が入らないんです。
目的を教えてあげると「あ、そうですか。じゃあやります」となっちゃう。
だから人にさせる場合は、人が何かやる意欲を引き起こす場合は、ちゃんとしたプログラムを教えて目的を教えてあげて、ゴールを教えてあげて、「はい、頑張ってください」と言えば、頑張る。
しかし、すべての目的は、すべて副作業で、サブなんです。
メインじゃないんです。ついでにやることです。「生きる」ということがメインです。
これが王道なんですね。寄り道でも脇道でもありません。
しかしそちらに目的がないんです。
だから、どう生きればいいかとわからないし。
自分がやっていることはこれでいいのかとわからないし。ものすごく混乱状態になっちゃいます。
そこで、存在欲をまず理解して、存在欲があるんだと、死に対する恐怖感があるんだと、しかし理由がわからない。
死に対する恐怖感は事実。経験している。
生きていきたいという存在欲は事実。知っている、経験している。
しかし、その理由はわからない。
理由がわからないところを、無明と言うんです。
だから順番で言えば、そこは先にあったんです。
ほんとうは順番はないんだけどね。
因果法則では順番はないんです。
ただ、言葉と言うのは一次元だから、一本道で言わなくちゃいけないんですね。
因果法則は多次元的に起こるものなんです。
(続きます
スマナサーラ長老法話・関西月例冥想会 2013.12.15
https://www.youtube.com/watch?v=4vsnfGBmmrg を聞いて書きました。
参考外部サイト:
このように『業(カルマ)の法則』や『形成(サンカーラ)の法則』を考察することは、死にたいする正しい見方を得、正しく死に直面することを、手助けしてくれるのです。