前回 Life is a school - 冥想ができなくなってしまいました(2)
質問者の方にしても、子供のことを思いだしてガクーンと落ち込んでしまった。
いいんです、それは。これが宿題です。
どうやって学ぶのかというと、自分勝手でわがままで、自分の好みで生きると残酷なことをやるんだ、と。
自分にとっておもしろいんだからと言って、魚の目を取ったりする。だから、わがままで、自分勝手で、自分の好みでやることがいかに恐ろしい行為かと、これから自我を減らして、すべての生命の気持ちを考えて生活しなくちゃいけないんだ、とその宿題をやっているんです。
それから人としゃべるときでも、相手の気持ちを踏みつぶして自分の意見を言うんじゃなくて、相手が何を考えているのかと考えて対応する。
お茶を持ってこいと一方的に言わないで、相手の気分を考えて頼むとかね。
相手の尊厳を守りつつ生きることは、自我がない生き方なんです。
子供のころやったことを思いだしたら、人間ってそういうものだと理解してください。
これは質問者の方に言いますよ。人間はそういうものだと。物事をわからない人間は。
でもこれが間違った生き方だと。世界の人間が間違った生き方で生きようとしているんだと。これが恐ろしい罪を犯しているんだと。自分が罪を犯しているという気持ちさえしないで、「いいことをやっている」と勘違いしている。
そこに気づくのは智慧なんですね。
だから、思い出したことから、宿題をやって、人格向上をしてください。
皆さまも、「あの人はちょっと嫌だな」ではなくて、宿題ですよ。
特に若い夫婦なんかは結婚してから、「相手がいびきをかくから嫌だ」と。それで離婚する? わがままで? そうじゃないでしょう。宿題ですよ。
一生一緒に生活しようと決めた人が、ひどいいびきをかく。
これが一緒に生活し始めてから発見するんだからね。そこで、イライラしないでこの問題をどう解決するのか。自分のやすらぎをどうやって得るのか、どうやって問題を解決するのかというのが宿題なんですね。
いびきというのは、病気が原因かもしれませんね。
その場合は治療が必要になる。
身体はドカンと寝てしまっていびきをかく場合は、本人がよく眠れないんですよ。うるさいんだからね。枕を入れ替えてあげたり、相手に親切に面倒を見てあげる。そこで自分が優しい人間になっているでしょう。相手を憎むんじゃなくてね。
首の位置を調整したり、そういう枕を探してあげたりとかね。
それで宿題をやっていることになるでしょう。
色々な問題が出てくる。
自分の産んだ子供にしても、その子が毎日自分に宿題を与えているんです。
そこでまず、ネガティブにみない。
かといってポジティブにみてはいけません。世の中の出来事はネガティブでもポジティブでもないんです。ただモノの流れなんです。ツイている、ついていないとか、その二つの単語は忘れてください。宿題をやる人は、一生ツイています。
自分がツイていると思うときは、自分の気分に合わせたものが出てきただけなんです。
これはあまりよくないんですよ。だからツイているツイていないという言葉もよくない。物事に対してネガティブもポジティブにみることもなくない。「物事」、それだけ。
(続きます
物事は流れる - 冥想ができなくなってしまいました(4・最終回))
東京法話と実践会 2016.07.24
http://www.ustream.tv/recorded/89905720 (期間限定公開)を聞いて書きました。
参考外部サイト:
根本仏教講義、10.心療カウンセリング (8)問題を解決するのは自分です (No55)
■生きる意味がわからない■
何をしても空しいばかりで、仕事もやる気がおこりません。何のために生きているのか。近ごろはもう、死にたいばかりですというご相談がありました。(中略)
仏教も「すべてが空しい」と言葉だけ見れば同じことを言っているように見えます。でもそれは、一般的に言う「人生はむなしいなあ」のような感情の表現ではありません。
仏教の「空しい」論は、宇宙生命全体の本来の姿を観察した上で成り立った、超越した智慧で得た結論なのです。それは、生きているうえで起きてくる問題に立ち向かう能力のないことに気付いた場合に起きてくる「空しい」という感情とは、全く違うものだということを理解していただかなければ困るのです。
(中略)
世の中が空しいと考えてしまう人というのはあまりにも希望があり過ぎて、人生の中に何か大胆な目的をさがそうとしている人。だから、空しくなってしまうのです。あまりにも目的が大きすぎると、何もできなくなってしまうのです。……