質問
「人生の宿題が出てくるなかで、善悪というのはどのように考えたらよいのでしょうか?」
回答(スマナサーラ長老)
人間の感情のままで生きる場合は、ちょっとやばいんですよ。
感情というのは貪瞋痴(とんじんち)というんですね。生きていきたいという気持ちなんです。生きていきたいという気持ちがあれば、誰だって残酷でわがままなんです。残酷でわがままは悪なんです。
そこで宿題をやる場合は、自分の人格を直すんだから、いつだって善行為なんですね。
その基準は、自分の貪瞋痴に従うか、貪瞋痴を戒めようとしているか、それだけの区別なんです。
たとえば、気が荒っぽい友達がいる。自分は、友達の気が荒っぽいところを攻撃してしまう、怒ってしまう。これって自然な反応でしょう。それは悪です。宿題をしていないんです。
「ああ、この人は性格が荒っぽいんだけど、友達としていろいろやらなくちゃ」と、それはなんとか解決したら、自分が感情に勝っているんですね。
それは善行為なんです。
宿題をやるかやらないか、だけ。
宿題をやることが善行為で、宿題をやらずにごまかしちゃったら悪行為なんです。
そういうふうに理解してください。
貪瞋痴に従う行為は悪で、貪瞋痴を戒める行為はすべて善行為です、と憶えておいてください。
(おわり)
東京法話と実践会 2016.07.24
http://www.ustream.tv/recorded/89905720 (期間限定公開)を聞いて書きました。
参考外部サイト:
Q: 「善とは幸せな結果を出す行為だ」と聞きました。善行為による幸福というのも頭ではわかるのですが、怠ける心地よさも捨てがたく、つい怠けてしまいます。
A: 確かに怠けるのは心地いいかもしれません。でも、だから怠けてしまうというならば、「大学に受かりたいけれども勉強はしたくない」というようなもので、……