ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

国と国民、それぞれの責任 - 束縛の多い世の中で自由に生きる(5)

前回

SNSの書き方 - 束縛の多い世界で自由に生きる(4)

 

はい、三番目に行きます。

「国・文化・習慣など」

 

国の法律は守らなくてはいけない。犯す人は自由がなくなります。

だから、自分が自由に行きたければ、法律を守ることでしょう? 法律を守らなくちゃだから自分に自由がないと言っている場合ではないんです。

 

国には法律がある。それを守ることで個人に自由がある。犯すことで自由がなくなる。法律をやぶって自由になったわけじゃないんですね。これが世界のシステムなんです。

 

国民が幸福で自由に生きることを目的として、国は、古くなる法律を改良しなくてはいけません。

法律は人間が使ったものだから、どんどん古くなっていくんです。人間に迷惑をかけるような法律になっていくんです。あるいは、どうでもいいような法律になっていきます。その場合は、これは国家の責任なんですね。

 

いつでも国民が、より自由でより幸福で、より平和でより安穏に生きられるようにと、法律を改良しなくちゃいけない。

それは国家の責任。

だから一番頭がいかれている連中を、国会議員として選んでください。毎回やっていますからね。

 

わたしは、民主主義とか変なことを言うなよと、成り立っていないんだと。選んではいけない人を国民は喜んで投票して選ぶんです。

それはどうでもいい話で、わたしに関係ないんだからね。

 

だから一応、国家の責任なんですね、法律は。

時代遅れな法律にしがみつくことは無知ですね。法律を変えないで絶対的に守りましょう、というのはあんまりよくないんですね。時代背景を考えて、だいたい十年ごとに考え直した方がいいんですよ、法律は。何か古くなった、邪魔になった法律はあるのかと。

 

個人が政治について関心を持たなくなると、自分の自由が奪われてしまうので、国と国民は互いに監視する必要があります。

これはよく起きていることなんですね。日本、シンガポールとかね。政治的にほとんど問題がない国々がいくつかありますよ。ヨーロッパにもいくつかそういう国々がありますけどね。政治家はまじめに頑張っています。

 

国民は無関心になっちゃって、これは危険です。

個人にも、責任があるんです。

 

共産主義の国は措いておいて、独裁国家は措いておいてね、ほかはもう、国民にかなり責任がある。責任を感じてほしいんです。国民個人個人が、自分の責任を感じて自分で判断するならば、政治家が国民のことをすごく怖く思うんです。「あ、これはおっかない」と。

 

国民が政治家を監視する、政府は国民を監視するというね。

そういう状況で、いくらかうまく生きられるんじゃないかなと思いますね。

そういうなんか、どちらでもない自由ですよ。

(続きます

社会の束縛 - 束縛の多い世の中で自由に生きる(6)

 

束縛の多い世の中で自由に生きる~本当の自由とは~

スマナサーラ長老法話 2016.07.17 

https://www.youtube.com/watch?v=Q_r3KpWK_JY&feature=youtu.be(限定公開動画)を聞いて書きました)

 

Civic Republicanism and Civic Education: The Education of Citizens

参考外部サイト:

巻頭法話(209) 世間の自由VS.仏教の自由

法律を犯す組織に対して、政府の側は警察や軍隊を動かして抑圧しようとする。その組織は犯罪組織だと、決めつけたりもする。このような場合も、正義が勝つのではなく、より力強いほうが勝ってしまうのです。……

 

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