ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論

身体の制限 - 束縛の多い世の中で自由に生きる(9)

(前回

社会と縁を切ったらどうなる? - 束縛の多い世の中で自由に生きる(8)

 

「身体の制限」

肉体を持つ限り自由はなし。理解して上手に付き合うことです。

呼吸する、栄養を採る、たくさんやらなくてはいけないことがあるんですよ。

 

自由、自由、と謳って、「自由になりたい」と思った時点であほっていうことでしょう(笑)。「別に」という感じで生きる人はものすごく智慧があるんですよ。

 

「これがダメだ」「あれがダメだ」と言うほど、「わたしってあほでしょう?」と発表しているんです。

 

努力しても生老病死を超えられません。

人間はこれもよく知っているんです。この生老病死「が」命なんです。生老病死を壊したければ死ぬしかないんです。

 

だから、これを理解してください。「別に」という感じで。

呼吸することはやめられないでしょう? それを悩む必要はないんです。歳を取ることは止められないでしょう? だから「別に」っていう感じで生きるしかないでしょう。

 

この「別に」という言葉に自由があるんです。

これは本物にならなくてはいけないんです。

 

歩けなくなって、杖を使うことになったとする。

なんで悩む? 老いたことが気に入らないんです。わがままで。

「あなた、杖を使うようになったの?!」と言われたら、「そうなんですよ」と答えればいいだけ。「カッコ悪くない?」と言われれば、「いいえ別に」と。

 

「別に」というのはかなり立派な単語として、理解したほうがいいんじゃないかなと思います。

 

杖をつくことに対して「嫌だ」と思うこと、対立しようとすることが、悩み・苦しみ・不幸の原因になります。

それが本物の束縛になります。

 

今思い出したんだけど、リードを繋げて犬を散歩させますね。

犬には苦しくないでしょう? どんな時苦しくなる? 犬は。

他の犬が来て、攻撃してやろう! と走り出そうとすると、リードに繋がっているんだからね。首にリードが食い込んじゃって、苦しくなるんです。しかも飼い主から叱られますよ。

 

わたしたちも首に罠がかかっていますからね。

それを嫌だからと暴れたら、首が絞めつけられるだけ。いくら何でも飼い主が、「じゃあ、行って喧嘩してください」とリードを外す? もっと強く引っ張られるだけ。

これが、法則です。

 

われわれには、物質的に首にリードがかかっているわけじゃないんだけど、やっぱり様々な条件に縛られてはいるんです。

 

これで「嫌だ」ということになっちゃうと、ものすごい苦しみになる。

歳を取ることに「嫌だこれは」とか、「昔だったら……」とか思う人が、今直ちに地獄を作る。こころが壊れちゃって、死後も不幸になる。

 

だから「別に」ということがとても大事なんです。

 

肉体の制限に納得する人は、落ち着きます。

肉体をもらってきたんだからね、まあこれは結構制限がありますよと。そう知ったら、穏やかでいられます。

それが自由ではないでしょうか?

 

なんで人間は、生命は、失敗するんですかね?

自由を勘違いする問題は、人間に限っていないんです。動物にもある、神々にもある。高次元的な生命も、低次元的な生命も、宇宙生命もみんな、勘違いはしている。

 

その理由は、存在欲と恐怖感なんです。

生命の本能は、存在欲と恐怖です。

 

ですから、自然法則を認めない。

自然法則は、物事が変化することです。われわれは想北に逆らった存在欲と恐怖感を持っているんです。

 

たとえば火山が爆発すること、地震が起こることは自然法則です。

それは「わたし」個人で存在欲と恐怖感を持っているんだから「ああ、これって怖い」と悩む羽目になっちゃう。

 

自然法則を壊して生き続けたいと思うことは不可能ですよ。

自分自身で無数の束縛をする。

自然法則を壊したくなったバカが、ありとあらゆる新たな束縛を作る。自分の頭がいかれて作る新たな束縛が、本物の束縛です。

 

地球の引力に引かれて生活しなくてはいけないというのも束縛ですけど、これは別に苦しみの原因ではないんです。

引力に逆らおうと思って飛び上がる人がケガをします。

 

悪を犯してでも、皆を破壊してでも生きようとする。

自分の命さえ守るなら何をしても大丈夫だという、この生き方はなんなのか。

だから、必ず失敗します。みじめに生きて、みじめに死ぬんです。この存在欲と恐怖によって。

みじめに生きているのは自分のせいでしょう。「自由がない」と泣いているのは、何を考えているんですか。

 

条件の中で生きていることだから、「別に」という感じでいればいいのに。

 

個人がみじめで生きてみじめに死ぬことは、個人の結果なんです。

真理がわからないからそうなるんです。

 

こころは転生するから、個の死に怯えを感じる必要はありません。

宇宙スケールで見ると、物事は変化するだけ。停止はないんです。だからこころというパワーもエネルギーだから、停止することがないだけ。これに「死にたくはない、死にたくはない」というのは、何考えているんですか。

宇宙的に考えてみれば、たいしたことはないでしょう。ほんのちょっと、何十年か生きるということは。ある変な形で。

 

それで仏教が、「輪廻転生するんだよ」というと、死ぬのが怖いんじゃなくて、転生するんだからこれがヤバいやと、いいところに転生しなくちゃと思わなければいけないのに。

それだったら、テロリストはどこにも入りませんだからね。社会法則を破る人はテロリストだからね。ISだけじゃないんです。人間一人一人がテロリストなんですね。テロリストはいいところに入れませんよ。

 

だからわれわれはテロ行為をやめて、死んじゃっても転生するんだから、死ぬのは死ぬほど大したことはない。

どうせ死ぬしね。変なところに転生したらマズいと思って頑張らなくてはいけないのに、やってない。

(続きます

栄養のとり方 - 束縛の多い世の中で自由に生きる(10)

 

束縛の多い世の中で自由に生きる~本当の自由とは~

スマナサーラ長老法話 2016.07.17 

https://www.youtube.com/watch?v=Q_r3KpWK_JY&feature=youtu.be(限定公開動画)を聞いて書きました)

The Human Body: A Nonfiction Companion to the Original Magic School Bus Series (Magic School Bus Presents)

参考外部サイト:

パティパダー巻頭法話(121) 表は「好きと愛」、裏は「悩みと恐怖」 2005年 3月

仏陀が父の愛に piya(好き)という単語を使っています。子に対する母の愛に、pema(愛)を使っています。心の感情をなくすためにも、二種類の手段を使われたのです。二人の心に理性を蘇らせてあげたが、方法には「男性バージョンと女性バージョン」があったみたいです。

(略)

男性には・・・「生まれたものは誰でも死ぬ。……

(略)

仏陀が人を慰める方法の女性バージョンは、「情」から始めたのです。男性は理屈ばかりで生きようとするが、情が入ると無知になってしまうのです。女性は情を大事にして楽しく生きようとするが、情から起こる苦しみに耐え切れなくなると、理性に目覚めるのです。……

 

広告を非表示にする