ブッダ ラボ - Buddha Laboratory

Namo tassa bhagavato arahato sammāsambuddhassa 仏道実験室の作業工程と理論、実験結果

こころの病み① - 束縛の多い世の中で自由に生きる(11)

<前回 

栄養のとり方 - 束縛の多い世の中で自由に生きる(10)

 

「こころの病み①」

こころは感情に支配されている。人は感情の奴隷として生きている。

仏教が考える自由はこちらにあるんです。社会の一員として自由に生きるという、あまり余計なことは言わない。

 

感情とは、柱となる貪瞋痴(とんじんち)と、その中にある千五百煩悩(せんごひゃくぼんのう)のことです。

たとえば、欲から派生してものすごい数の煩悩があります。怒りも、無知の種類も、ものすごいたくさんある。

 

千五百煩悩をすべて憶えなくても、怒りっていろんなタイプがあるでしょう? 怒っているとわかるでしょう。欲もいろいろでしょ。単色ではないんです。これを数えて、千五百十になっているんです。これは仏教にしかできない仕事ですね。

 

人は理性で、自分の自由な判断で生きていないんです。

自分で物事を考えて判断すればいいでしょう? でもやっていないんです。感情で指令されるままに、奴隷のように対応するんです。

 

われわれの貪瞋痴が指令するんです。

欲が指令すると、奴隷だから、「はい、旦那様わかりました。欲に従います。怒りに、無知に従います」と。

 

どうせテロリストなら、貪瞋痴に対して攻撃すればいいでしょう? それもやらない。社会に対して攻撃するんです。

貪瞋痴の指令には素直に従う。

 

だからすべての人間の生き方が、理性で自由な判断ではありません。

誰も自分が ”Free Will” 自由だという言葉は使っていないんです。みんな奴隷、貪瞋痴の。感情の。

 

これって病気です。

西洋哲学でもね、Free Willとうたっていますが、成り立つのかと。

欲で出した判断はFree Willですかね? 理性で出した判断はFree Willです。

 

たとえば、怒って相手を殴りたくなりました。でも、怒りを抑えた。それで殴らないことにしました。そこが、Free Willなんです。

感情の奴隷だったら殴っちゃいます。感情の奴隷だったら悪口を言います。

 

わたしを非難冒涜するネットの書き込みが結構ありますけど、わたしも読んだことありますけどね。

ああいう書き込みが狙っているのは、わたしが落ち込むことでしょうが、わたしにとっては質の悪い漫才以外、何でもないんです。

それを読んでいてわかるのは、「これは勘違いしている」「あ、この人はこういう病気だ」「話を間違って言理解しているんだ」と。

わたしが落ち込むだろうと、仏教活動をやめるだろうと狙っているんだけど、勝手に怒ってくださいと。

宗教が大嫌いな国で、わたしは仏法を教えたんです。

 

だから、どうぞご自由に頑張ってくださいと言うところが、自由なところなんです。だからわたしは束縛されていなんです、その点では。

 

そういうわけで、自由という言葉。

肉体に自由はないんだからね。自由があるとすれば、精神の自由なんです。それは西洋では、Free Willという言葉を使っているんです。意思ですね、Willというのは。意思が自由であるとは、嘘を言うなよと。貪瞋痴に意思を握られて、人質にされているんです。誘拐されているんです。

 

たとえば怒りが現れたら、怒りの指令に従う。

理性的な反応はしません。

 

怒りが出てきたら、自分の怒りを抑えることに自由がある。

そこで不思議に自由を感じるんです。操られていないんだと。自分自身で生きていると。

「感情をもっているこころは病んでいる」と説かれています。

 

そういうことで、仏教のことばでは、感情がある限り、こころが病んでいる。

病んでいる場合は、自由がないんです。

 

肉体が病気だったら自由がないでしょう?

それと同じです。

 

肉体的に健康であっても、精神的に健康でない限りは、自由は存在しません。

仏教的立場は、肉体は放っておく。別に、と。

精神のほうで自由を感じること。

 

貪瞋痴が、貪瞋痴のために指令します。

貪瞋痴がわれわれを奴隷にしているでしょう? 貪瞋痴に誘拐されているんですね。貪瞋痴が自分のために指令するんです。誘拐犯人が、人質のために指令する? 自分が誘拐した人の幸せを狙って? 幸福を狙って指令する? 違うでしょう。身代金を払わなかったら殺してやるぞ、でしょう。だから誘拐犯人は、自分のことしか考えていないんです。

 

そこでわれわれの誘拐犯人は貪瞋痴なんです。貪瞋痴は貪瞋痴のことしか考えていない。だからいかなる場合も、貪瞋痴の指令に従ってはならないんです。

 

そこでしょう、革命を起こすのは。

自由を目指して。

政治世界であったでしょう。自由を目指して革命を起こすとか。

 

仏教は精神世界で、自由を目指して革命を起せと。貪瞋痴に独裁されているんだと。残酷に搾取されているんだと。

貪瞋痴は貪瞋痴のために指令する。生命の幸福を目指してないんです。皆様方が怒りに従ったからといって、幸福になりませんよ。怒って戦争したからと言って、怒って夫婦喧嘩をしたからと言って、子供に怒ったからと言って、幸福になりません。

 

感情に負けて生きていることで、さらに感情が栄養を受けて強くなります。

 

そういう誘拐犯人を応援する生き方をやめましょう。

おかしいことです。

なんかハイジャックを応援するような感じなんです。ハイジャックをするならサポートしてあげようと。冗談じゃない。よくもそんなことをやりますねと。

 

人の命は、束縛から束縛へと進みます。

そこで、放っておく束縛はいくつかあります。項目ごとに説明しました。「別に」でいいんですよ。

この精神的な束縛は、放っておくとどんどん強くなるだけ。精神的な束縛が強くなると、物質的な束縛もひどくなる。

 

苦から苦へ、不幸から不幸へと進みます。

期待する幸福は、夢で食べるごちそうになります。

 

みんな幸福になりたいと思っているでしょう?

あれは夢で食べるごちそうです。このままだったら、得られません。

(続きます

こころの病み② - 束縛の多い世の中で自由に生きる(12)

 

束縛の多い世の中で自由に生きる~本当の自由とは~

スマナサーラ長老法話 2016.07.17 

https://www.youtube.com/watch?v=Q_r3KpWK_JY&feature=youtu.be(限定公開動画)を聞いて書きました)

Free Will (English Edition)

参考外部サイト:

パティパダー巻頭法話(104) 自由という幻覚 2003年10月

たった一つの瞬間だけ、人が完全たる自由を経験するときがあります。それは、ヴィパッサナー実践が見事に進んで、こころが解脱を体験する瞬間です。それ以外に、自由を求めるのはやめましょう。