<前回 欲はすべて体にある - ウェーサーカ祭2007(3)>
世の中では、天国は永遠に幸せだ、と思っています。
みんな堂々と言いますよ。「天国に行ったら、亡くなったおじいさんが天国で楽しく暮らしているんだよ」と。わたしは一度もそういうのは見たことがないんですね。
「天国は最高の境遇だ。人が死んだら天国に行くんだ」とみんな思っています。
「本当にそう知っているのか?」と聞いたら話は別ですけどね。
お釈迦様は天界もよくご存じですが。
人間の快楽だけじゃなくて、天界にあると言われるナントカという快楽があるとしても、「そういう世の中の幸福・快楽よりも、渇愛をなくすことが幸福だ」とすごく科学的に幸福を語っています。
われわれは、嫌な病気にかかっているようなもので、ものすごくやけどしているみたいな状態なんですよ。体中全部。こころも体も。
やけどしている状態なんです。
手や足をやけどすると、いろいろなことをするでしょう。なめてみたり、氷に付けてみたり、水を掛けたり。痛みが消えるまで。
やけどしたら、氷水につけても痛いんですよ。氷水に触れた瞬間は、「気分がいい」と思うんだけど、次の瞬間にまた痛みが出てくる。
人間っていうのは、精神的にすっごくやけどしています。
だからイライラしている。
やけどしている人が、なんでもいいからと体につけてみるんです。冷たくて気持ちよくなるだろうと思うものを。
つけてもつけても、痛いのは痛いんです。
そういうふうにわれわれは、こころがやけどして、苦しんでいる。
だから、いろいろな美しいものを見ては、見ては、この痛みを和らげようとしている。
美しい音楽を聴いて、このやけどの痛みをね、和らげようとしている。
とにかくありったけのおいしいものを食べて、このやけどの痛みを和らげようと、一生懸命頑張っています。
だから、われわれは「いくらあっても足らない」という生活をしています。
とにかく死ぬまで、とにかく儲けることに必死なんです。
これはいくら言ってもやめられません。ものすごく財産があるアメリカでも、ほんの少しでも利益が下がると、凶暴に世界中を狂わせちゃうんです。
大石油会社を持っている人々も、ちょっとした十円の値下がりでも、驚いてものすごく興奮する。いきなりモノの値段を上げちゃって、それで損した分を取り戻そうとする。
いくらあっても足らない、と怯えているんです。
われわれも同じことで。なにかこころの中にやけどがあるんですよ。
美しいものを見ないと、じっとしていられないでしょう?
音楽を聴かないと、ものすごくイライラが出てくるんです。食べたものがおいしくないと、もう我慢できなくなるんです。身体によい感触がないと、ものすごくイライラするんです。
(続きます
ウェーサーカ法話(2007年5月12日)アルボムッレ・スマナサーラ長老
(https://www.youtube.com/watch?v=sQT_7Z4XbwA を聞いて書きました)
「欲に等しい火はない。」こころに欲が現れたらこころが火傷します。
身体も火傷したらもとの美しい姿には戻りません。こころも欲によって火傷して形を変えてしまうのです。
これが、性格というものを築くのです。
「火傷」は文学的な表現だけではありません。欲に陥ると、人は居ても立ってもいられなくなります。火事なので、何をするかとわからない状態になる。思考が内回りで暴走して、外の情報、アドヴァイスなどは入らなくなります。